スタート、しました。
先週の水曜日、やっと、自宅のネットが繋がりました。
いやはや、長かったですね。
大和の寮生活を加えれば、かれこれ3ヶ月ぶりです。
これでもう、ネットカフェにこもる必要もなくなります。
藤沢での新生活も、これでやっとスタートした、って気分です。
私の新居にも、続々と入居者が住み始めました。
玄関前で会って、挨拶したりします。
まあ新築ですから、私と同じように、新生活のスタートを切った方々ばかりのはずです。
ただ・・・。
私と決定的に違うのは、彼らが「夫婦」だということです。
挨拶したときは、いつも相手は2人。私は独り。
恐らく、ほとんどが新婚なのでしょう。
1LDKで、子供がいたのではちと狭いでしょうし。
しかも、その風貌から察するに、彼らのほとんどが・・・
オレより若い。
まあ、ある程度は覚悟していましたが、改めて実感しています。
新居浜のときも、独り暮らしは私だけでしたが、新婚よりも家族連れが多かった。
彼らはオレを、どんな風に見ているんだろうか。
「なんだ?あのおっさん、いつも独りで・・・」
「嫁さんに逃げられたのか?」
とか、思われてるんだろか・・・。
ふと、自分の中に「負け組」という言葉が浮かんできます。
でも、あの人は、こういってたっけ・・・。

とりあえず、今の自分は、スタートできてる・・・つもりでいます。
余談ですが、私がしばらくテレビを見れない間に、この人L.Aから「熱海」に引越したんですね。

「オレはここいいるぞ〜!」って言ってるし。
ちなみにここで、非常に含蓄のある話が聞けます。
↓
「矢沢永吉さんインタビュームービー」
「目が覚めると OK Let's do it って、ない?」
・・・だそうです。
ない、かなあ・・・。
是非とも、見習いたいものです。
話がそれました。
今週末ですが、戻ってきた私の愛車(プリティキューブ)で、実家に帰りました。
そういえば、自分の車で実家に帰るのも2年ぶり。
今までは、飛行機やら電車やら高速バスやら乗り継いで、体操不便だったのですが、車だと約2時間。
いやいや、便利です。
湾岸線やアクアラインを、ETCで通過するのも新鮮でした。
そういえば、愛車にETCを装着してまもなく、愛媛に引っ越した。
「実家に帰るのに便利」と思って装着したETCの活躍の場は、何故か「松山自動車道」になってしまった。
運命のいたずら・・・。
2年のときを経て、愛車のETCは、やっとその本来の役目を果たすときが来ました。
今回の帰省は、実家にエアコンを届ける(結局、余った2台のうち1台は、実家で使うことになりました)のと、プチカラオケパーティ。
先日、あしたのジョーで熱く語ってしまった女性達と、ボックスでカラオケに興じました。
彼女達にカラオケを披露するのは初めてでしたが、冒頭の「矢沢永吉」を始め、喜んでいただけたようです。
しばらく封印していたネタも披露し、反響をもらえました。
「さび付いてはいない」という、確かな手ごたえを感じています。
まだまだ・・・。

そういえば、冒頭の矢沢永吉は、NYやインドでも披露して受け入れられたネタ。
まあ、始めてみれば、「ウケて当然」と言えるかも知れません。
あの場所、以外は・・・。
まあ、それはともかく、楽しい時間を過ごせました。
おかげで今朝も激しい二日酔いに見舞われたのは、言うまでもないでしょう。
帰りには、実家に置いてあったゴルフバッグを持って帰りました。
実家では毎年コンペを開いています。
開催予定は6月。
今まで四国では、さすがに出るわけには行きませんでしたが、これからは逆に「出ないわけにはいかない」状態になります。
藤沢近辺の練習場を、探してみようと思います。
まあ徐々にですが、こっちでの生活が本格的に始まりつつあります。
***今日の血圧(mmHg)153-98***
ランキングです。どうかひとつ。

いやはや、長かったですね。
大和の寮生活を加えれば、かれこれ3ヶ月ぶりです。
これでもう、ネットカフェにこもる必要もなくなります。
藤沢での新生活も、これでやっとスタートした、って気分です。
私の新居にも、続々と入居者が住み始めました。
玄関前で会って、挨拶したりします。
まあ新築ですから、私と同じように、新生活のスタートを切った方々ばかりのはずです。
ただ・・・。
私と決定的に違うのは、彼らが「夫婦」だということです。
挨拶したときは、いつも相手は2人。私は独り。
恐らく、ほとんどが新婚なのでしょう。
1LDKで、子供がいたのではちと狭いでしょうし。
しかも、その風貌から察するに、彼らのほとんどが・・・
オレより若い。
まあ、ある程度は覚悟していましたが、改めて実感しています。
新居浜のときも、独り暮らしは私だけでしたが、新婚よりも家族連れが多かった。
彼らはオレを、どんな風に見ているんだろうか。
「なんだ?あのおっさん、いつも独りで・・・」
「嫁さんに逃げられたのか?」
とか、思われてるんだろか・・・。
ふと、自分の中に「負け組」という言葉が浮かんできます。
でも、あの人は、こういってたっけ・・・。

とりあえず、今の自分は、スタートできてる・・・つもりでいます。
余談ですが、私がしばらくテレビを見れない間に、この人L.Aから「熱海」に引越したんですね。

「オレはここいいるぞ〜!」って言ってるし。
ちなみにここで、非常に含蓄のある話が聞けます。
↓
「矢沢永吉さんインタビュームービー」
「目が覚めると OK Let's do it って、ない?」
・・・だそうです。
ない、かなあ・・・。
是非とも、見習いたいものです。
話がそれました。
今週末ですが、戻ってきた私の愛車(プリティキューブ)で、実家に帰りました。
そういえば、自分の車で実家に帰るのも2年ぶり。
今までは、飛行機やら電車やら高速バスやら乗り継いで、体操不便だったのですが、車だと約2時間。
いやいや、便利です。
湾岸線やアクアラインを、ETCで通過するのも新鮮でした。
そういえば、愛車にETCを装着してまもなく、愛媛に引っ越した。
「実家に帰るのに便利」と思って装着したETCの活躍の場は、何故か「松山自動車道」になってしまった。
運命のいたずら・・・。
2年のときを経て、愛車のETCは、やっとその本来の役目を果たすときが来ました。
今回の帰省は、実家にエアコンを届ける(結局、余った2台のうち1台は、実家で使うことになりました)のと、プチカラオケパーティ。
先日、あしたのジョーで熱く語ってしまった女性達と、ボックスでカラオケに興じました。
彼女達にカラオケを披露するのは初めてでしたが、冒頭の「矢沢永吉」を始め、喜んでいただけたようです。
しばらく封印していたネタも披露し、反響をもらえました。
「さび付いてはいない」という、確かな手ごたえを感じています。
まだまだ・・・。

そういえば、冒頭の矢沢永吉は、NYやインドでも披露して受け入れられたネタ。
まあ、始めてみれば、「ウケて当然」と言えるかも知れません。
あの場所、以外は・・・。
まあ、それはともかく、楽しい時間を過ごせました。
おかげで今朝も激しい二日酔いに見舞われたのは、言うまでもないでしょう。
帰りには、実家に置いてあったゴルフバッグを持って帰りました。
実家では毎年コンペを開いています。
開催予定は6月。
今まで四国では、さすがに出るわけには行きませんでしたが、これからは逆に「出ないわけにはいかない」状態になります。
藤沢近辺の練習場を、探してみようと思います。
まあ徐々にですが、こっちでの生活が本格的に始まりつつあります。
***今日の血圧(mmHg)153-98***
ランキングです。どうかひとつ。

ドキュメント さらば四国#3
◆4/1〜2 江ノ島が見えてきた・・・。
昨日は松山のホテルに宿泊し、翌朝の便で羽田に向かった。
昨日の段取りのよさを思えば、昨日中に帰ることもできたが、あいにく「特割」のチケットをすでに予約してしまっていた。
使い慣れた羽田。
朝の移動の場合、ついたら仕事というのが通常のパターンだが、この日は引越し。
会社からは赴任特別休暇をもらっている。
つまり休日。
朝にもかかわらず、私は機内にビールとじゃこ天をもちこんだ。
私なりの、愛媛の味わい方である。
ほろ酔いで羽田に着き、そのまま藤沢のエイブルに、鍵の受け取りに行く。
エイブル独特の「チャラい接客」に閉口しながらも、鍵を受け取り、そのまま市役所に向かった。
藤沢市役所は、駅前北口にある。
さすがにこの時期、すさまじく混んでいた。
一応、整理券を受け取るが、その番号の更新間隔を見る限り、自分の順番が遠い先にあることを感じさせた。
・・・かれこれ、2時間待っただろうか。
ようやく自分の番となり、手続きを進めようとすると、
「私の新居の住所が役所の登録に無い」とのこと。
新築にはよくあることらしいが、その住所がちゃんとあることを、賃貸主に確認を取らなければならないらしく、結局この日は手続き完了できず。
翌日また役所に行くことになってしまった。
あまり幸先のよいスタートではない。
藤沢は、果たしてオレにやさしいのか・・・?
役所の不毛な時間の後に、自転車を購入することにした。
道が狭く渋滞するこの辺の移動手段として、「自転車」はきわめて有用らしい。
自転車に乗るのは、かれこれ10年以上ぶりだが、果たしてうまく乗れるのか・・・?
そんな不安をよそに、まずは自転車屋を探す。
すると、役所の近くに立つ「ビッグカメラ」に、自転車売り場を発見。
「湘南一の品揃え」
という看板を信じ、店内を物色。
・・・結構、高い。
折りたたみ式は別にして、通常のものは安くても\29,800くらいする。
自転車って、こんなに高かったっけ。
しかし、車が今週末まで無い私にとって、足の確保は死活問題。
一番安い\29,800のものを購入した。

買ってすぐに、乗って帰れるもの、と思っていたところ
「整備に1時間半かかります。」
とのこと・・・。
やむ終えず、近くのドトールに入り、1時間半をつぶした。
う〜ん、なんとも、順調ではないスタートである。
整備完了の自転車に乗り、新居に向かう。
思ったより、ペダルが重い。
そして何より、ケツが痛い・・・。
想像していたものより、快適ではなかった。
自転車って、こんなにきつかったっけ・・・。
しかし、これに慣れてこそ、オレの「湘南ボーイ」としての生活がスタートする。
「快適だ」
「素敵だ」
「かっこいい」
と自分に言い聞かせながら、ペダルをこいだ。
4/1はまだ愛媛を出発した荷物が届かないため、大和寮に1泊。
翌日の4/2に正式に引っ越すことになった。
役所で昨日の手続きの続きを済ませた後、新居に向かう途中、ふと自転車で海まで行ってみたくなった。
そういえば、新居は海岸まで2kmだったっけ。
ペダルをこぐのは相変わらず慣れず、ケツと太ももに鈍痛を感じながら、こぎ続ける。
かれこれ10数分こいだだろうか。
私の目の前に、江ノ島がお目見えした。

「江ノ島が見えてきた。オレの家も近い。」
まさか自分が、その詞にふさわしい場所に住むとは、正直思ってもいなかった。
人生とは、まったく予想したとおりにならない。
そんな気に、改めてさせてくれる瞬間だった。
今度は、自動車で来るかな・・・。
引越し業者から荷物を受け入れ、夜まで片付け作業にいそしんだ結果、その日のうちに、何とか人が住む部屋の体裁にはなった。

さすがに、前の部屋と比べると、狭い。
前の部屋のキッチンが13.5畳、ここが11.5畳だから、そんなに変わらないかと思ったが、いざ住んでみると明らかに差がある。
おそらく基準となる畳の大きさとかも、違うのだろう。
そのせいか、カーテンも、前のままでは長すぎるようだ。

まあ、何はともあれ、ここで新生活がスタートする。
「あえてなじもうとしなかった」新居浜と違い、今度は藤沢に積極的になじもうとするつもりである。
ここで、どのような生活が待っているか。
とりあえず、今は楽しみである。
機会があれば、一度四国のAを招きたいと思っている。
昨日は松山のホテルに宿泊し、翌朝の便で羽田に向かった。
昨日の段取りのよさを思えば、昨日中に帰ることもできたが、あいにく「特割」のチケットをすでに予約してしまっていた。
使い慣れた羽田。
朝の移動の場合、ついたら仕事というのが通常のパターンだが、この日は引越し。
会社からは赴任特別休暇をもらっている。
つまり休日。
朝にもかかわらず、私は機内にビールとじゃこ天をもちこんだ。
私なりの、愛媛の味わい方である。
ほろ酔いで羽田に着き、そのまま藤沢のエイブルに、鍵の受け取りに行く。
エイブル独特の「チャラい接客」に閉口しながらも、鍵を受け取り、そのまま市役所に向かった。
藤沢市役所は、駅前北口にある。
さすがにこの時期、すさまじく混んでいた。
一応、整理券を受け取るが、その番号の更新間隔を見る限り、自分の順番が遠い先にあることを感じさせた。
・・・かれこれ、2時間待っただろうか。
ようやく自分の番となり、手続きを進めようとすると、
「私の新居の住所が役所の登録に無い」とのこと。
新築にはよくあることらしいが、その住所がちゃんとあることを、賃貸主に確認を取らなければならないらしく、結局この日は手続き完了できず。
翌日また役所に行くことになってしまった。
あまり幸先のよいスタートではない。
藤沢は、果たしてオレにやさしいのか・・・?
役所の不毛な時間の後に、自転車を購入することにした。
道が狭く渋滞するこの辺の移動手段として、「自転車」はきわめて有用らしい。
自転車に乗るのは、かれこれ10年以上ぶりだが、果たしてうまく乗れるのか・・・?
そんな不安をよそに、まずは自転車屋を探す。
すると、役所の近くに立つ「ビッグカメラ」に、自転車売り場を発見。
「湘南一の品揃え」
という看板を信じ、店内を物色。
・・・結構、高い。
折りたたみ式は別にして、通常のものは安くても\29,800くらいする。
自転車って、こんなに高かったっけ。
しかし、車が今週末まで無い私にとって、足の確保は死活問題。
一番安い\29,800のものを購入した。

買ってすぐに、乗って帰れるもの、と思っていたところ
「整備に1時間半かかります。」
とのこと・・・。
やむ終えず、近くのドトールに入り、1時間半をつぶした。
う〜ん、なんとも、順調ではないスタートである。
整備完了の自転車に乗り、新居に向かう。
思ったより、ペダルが重い。
そして何より、ケツが痛い・・・。
想像していたものより、快適ではなかった。
自転車って、こんなにきつかったっけ・・・。
しかし、これに慣れてこそ、オレの「湘南ボーイ」としての生活がスタートする。
「快適だ」
「素敵だ」
「かっこいい」
と自分に言い聞かせながら、ペダルをこいだ。
4/1はまだ愛媛を出発した荷物が届かないため、大和寮に1泊。
翌日の4/2に正式に引っ越すことになった。
役所で昨日の手続きの続きを済ませた後、新居に向かう途中、ふと自転車で海まで行ってみたくなった。
そういえば、新居は海岸まで2kmだったっけ。
ペダルをこぐのは相変わらず慣れず、ケツと太ももに鈍痛を感じながら、こぎ続ける。
かれこれ10数分こいだだろうか。
私の目の前に、江ノ島がお目見えした。

「江ノ島が見えてきた。オレの家も近い。」
まさか自分が、その詞にふさわしい場所に住むとは、正直思ってもいなかった。
人生とは、まったく予想したとおりにならない。
そんな気に、改めてさせてくれる瞬間だった。
今度は、自動車で来るかな・・・。
引越し業者から荷物を受け入れ、夜まで片付け作業にいそしんだ結果、その日のうちに、何とか人が住む部屋の体裁にはなった。

さすがに、前の部屋と比べると、狭い。
前の部屋のキッチンが13.5畳、ここが11.5畳だから、そんなに変わらないかと思ったが、いざ住んでみると明らかに差がある。
おそらく基準となる畳の大きさとかも、違うのだろう。
そのせいか、カーテンも、前のままでは長すぎるようだ。

まあ、何はともあれ、ここで新生活がスタートする。
「あえてなじもうとしなかった」新居浜と違い、今度は藤沢に積極的になじもうとするつもりである。
ここで、どのような生活が待っているか。
とりあえず、今は楽しみである。
機会があれば、一度四国のAを招きたいと思っている。
ドキュメント さらば四国#2
◆3/31 さらば新居浜
朝6:30 意外なほど快適に目覚めた。
昨日の雨はやんでいる。
もはや足の無い私には、これは朗報だった。
今日は朝一で四国営業所に挨拶に行く。
できれば雨の無い状態で移動をしたかった。
ふと、窓の風景を見る。

昨年、神奈川から遊びに来た私の友人の一人が、この風景を見たとき
「毎日、これを見て生活しているのか・・・。」
と、私の心を察してくれた。
そういう感受性は、うれしいものである。
この風景を見るもの、いよいよ今日が最後である。
風呂に入り、身支度をする。
外出の準備を終えると、始業開始の時刻までまだ一時間以上ある。
そのため、タクシーではなく、歩いて職場まで向かうことにした。
職場に着いたのが8時過ぎ。
私以外は、まだ出社していなかった。
徐々に出社する人たちに、顔を合わすごとに挨拶をする。
職場には、私が出向解除でいなくなることを知らない人も結構いた。
確かに、仕事に絡みが無ければ、興味の無いことなのかもしれない。
8:30となった。
お決まりのように、朝礼が始まる。
月曜日は持ち回りでスピーチをする日で、私が挨拶するまでにしばしの時間があった。
そのスピーチが終わり、私の出番となった。
それまでに、一応話すことは整理した。
しかし、挨拶の場に立ったとき、そのすべてが頭からすっ飛んだ。
緊張しすぎた、というわけではない。
挨拶の言葉を口にしようとしたとたん、ふとある光景が浮かんできたのだ。
2年前、横浜市泉区のマンションを引き払い、未開の地愛媛に向かうとき。
松山空港から特急「しおかぜ」で新居浜に向かう。
窓からは明かり一つ見えず、まさに「暗黒の世界」に飛び込むような感覚・・・。
そのときの不安な気持ちが、まさに目の前によみがえってきたのだ。
そのとき、私は思わず、目の前の光景を、そのまま口にしてしまった。
「思えば、横浜から新居浜に引っ越すとき、「しおかぜ」に揺られながら、不安な思いでいたことを思い出します。」
そんな予定していない言葉を、思わず口にしてしまったのだ。
これが本当の「感慨」というものだろうか。
沸いてくる瞬間は、どうにも制御が利かなくなる。
涙は出なかったが、心の中に熱いものがこみ上げてきた。
38年間の人生の中で、おそらく初めての感情である。
それから先、何を話したかは、実はほとんど覚えていない。
なんとか、まとめきったのだろう・・・多分。
挨拶を終え、個別に何人かに礼を言った後、「作戦通り」に営業所を後にした。
まもなく迎える引越しが、余分な世間話や予定調和の会話を排除した。
Aが提案した作戦は、ある意味正解だったであろう。
タクシーで家に戻ると、すでに引越し業者が待ち構えていた。
片付けは、見る見るうちに進められ、3時間もすると部屋はもぬけの殻になった。

2年前、物件探してみた光景と、まったく同じである。
改めてみると、やはり広い。
荷詰めをすべて完了した引越し業者を見送り、しばし何も無い部屋の中で一人たたずんだ。
朝感じた、「感慨」を再び思い返した。
月並みな言い方だが、まさに走馬灯のように、よみがえってきた。
ただ、不思議と「後味の悪い」場面というのは無かった。
すべてが、ここに完結している、という実感があったのかもしれない。
ふと携帯に電話が入る。
不動産屋からで、「13:00に予定していた鍵の引取りを12:00に前倒したい。」とのこと。
ちょうど「何も無い部屋で1時間どうしよう。」と思っていたところなので、これはかえって好都合だった。
時刻は11:30。
歩いてイオンまで行き、飯を食う。
12:00に不動産屋を受け入れ、点検をしてもらう。
すると、再び携帯が・・・。
Aである。
昼飯の誘いだった。
これは実は、Aには悪いが私にとってはさらに好都合だった。
私はこの後、自力で市役所に行き、転出手続きをする必要があった。
部屋を追い出され、かつ市役所まで歩くのを、憂鬱に思っていたところだった。
正直、昼飯は済んでいたのだが、それは言わずに、Aの誘いに乗った。
この後市役所に行くとAに話すと、Aは昼食の場に「市役所の食堂」を選んだ。
相変わらず、意外な穴場を知っている。
食堂で飯を食いながら、今日の挨拶の話や、職場での話等、相変わらずとりとめも無いことを話していた。
これが、最後の食事であることを、お互い感じながら・・・。
昼食が終わり、市役所の「各種届出」コーナーのまで、Aと別れることになった。
別れる前に握手を交わした。
Aは、なんともいえない表情を見せた。
「さようなら」
「また会おう」
交わした言葉は、おとといの酔ったときと同様の、ずれを生んでいた。
おそらく感情自体も、去るものと残るもののずれがあったとは思われる。
ただ、私の中では、もちろん終わりでもさよならでもない。
彼とは、今後も付き合いは続くものと確信している。
彼もそのつもりでいることを信じたい。
今まで、言い忘れたことが一つある。
孤立無援の新居浜。
そんな中で、こんなにも楽しく過ごすことができたのは、明らかに彼のおかげである。
この場を借りて、礼を言いたい。
役所での手続きは、田舎のためかわずか10程度で終了。
その後に寄った郵便局での転居手続きを終え、いよいよ新居浜でやることは無くなった。
時間はまだ13:00過ぎである。
すこし、「夕方まで残ってAとまた飲むか。」とも考えたが、足も無い状態でここ新居浜で5時間以上も過ごすのはちとつらい。
ましては、あの別れから、「まだいるよ〜ん。」と声をかけるのも、さすがに絵にならないような気がした。
というわけで、なるべく空港に近い、松山まで移動することにした。
新居浜発松山行きのしおかぜは14:00半ば。
1時間弱ほど時間があるため、駅まで歩くことにした。
思えばこのルートを、歩いて移動したことは今まで無かった。
見慣れた風景が、歩いてみると新鮮に映った。
2年前、その「暴力追放」という怪しげな赤いネオンを見て、なんともいえないいやな気持ちになった警察署。
歩きながら見ると、案外普通の、小さな建物に見えた。

つぶれかけた売店の窓に貼ってあったポスター。
新居浜にも、ちゃんと大物はやってくる。
Aには是非、見に行ってほしい気がする。

最後のセッションの場となった、YAMAHAスタジオ。
あまりにも立派である。
「駅前再開発」の、ある意味象徴的な存在なのかもしれない。

14:00前に、新居浜駅に着く。
すると、今まで降っていなかった雨が急に降り始めた。
傘を持っていなかった私にとっては、まさに間一髪だった。
思えば、不動産屋の前倒しといい、Aの昼食の誘いといい、旅立ちを直前に控えた私に、新居浜の町はとても優しかった。
最後の最後は、ことごとくタイミングが合っていた。
新居浜の町も、私の門出を祝福しているのか・・・。
まあ何はともあれ、すがすがしい気持ちで新居浜を去ることができた。
いろいろなことがあったが、いろいろと学ばせてくれた新居浜。
ここを去る今になって、やっと素直に、この言葉が言えるような気がする。
「ありがとう、新居浜。」
朝6:30 意外なほど快適に目覚めた。
昨日の雨はやんでいる。
もはや足の無い私には、これは朗報だった。
今日は朝一で四国営業所に挨拶に行く。
できれば雨の無い状態で移動をしたかった。
ふと、窓の風景を見る。

昨年、神奈川から遊びに来た私の友人の一人が、この風景を見たとき
「毎日、これを見て生活しているのか・・・。」
と、私の心を察してくれた。
そういう感受性は、うれしいものである。
この風景を見るもの、いよいよ今日が最後である。
風呂に入り、身支度をする。
外出の準備を終えると、始業開始の時刻までまだ一時間以上ある。
そのため、タクシーではなく、歩いて職場まで向かうことにした。
職場に着いたのが8時過ぎ。
私以外は、まだ出社していなかった。
徐々に出社する人たちに、顔を合わすごとに挨拶をする。
職場には、私が出向解除でいなくなることを知らない人も結構いた。
確かに、仕事に絡みが無ければ、興味の無いことなのかもしれない。
8:30となった。
お決まりのように、朝礼が始まる。
月曜日は持ち回りでスピーチをする日で、私が挨拶するまでにしばしの時間があった。
そのスピーチが終わり、私の出番となった。
それまでに、一応話すことは整理した。
しかし、挨拶の場に立ったとき、そのすべてが頭からすっ飛んだ。
緊張しすぎた、というわけではない。
挨拶の言葉を口にしようとしたとたん、ふとある光景が浮かんできたのだ。
2年前、横浜市泉区のマンションを引き払い、未開の地愛媛に向かうとき。
松山空港から特急「しおかぜ」で新居浜に向かう。
窓からは明かり一つ見えず、まさに「暗黒の世界」に飛び込むような感覚・・・。
そのときの不安な気持ちが、まさに目の前によみがえってきたのだ。
そのとき、私は思わず、目の前の光景を、そのまま口にしてしまった。
「思えば、横浜から新居浜に引っ越すとき、「しおかぜ」に揺られながら、不安な思いでいたことを思い出します。」
そんな予定していない言葉を、思わず口にしてしまったのだ。
これが本当の「感慨」というものだろうか。
沸いてくる瞬間は、どうにも制御が利かなくなる。
涙は出なかったが、心の中に熱いものがこみ上げてきた。
38年間の人生の中で、おそらく初めての感情である。
それから先、何を話したかは、実はほとんど覚えていない。
なんとか、まとめきったのだろう・・・多分。
挨拶を終え、個別に何人かに礼を言った後、「作戦通り」に営業所を後にした。
まもなく迎える引越しが、余分な世間話や予定調和の会話を排除した。
Aが提案した作戦は、ある意味正解だったであろう。
タクシーで家に戻ると、すでに引越し業者が待ち構えていた。
片付けは、見る見るうちに進められ、3時間もすると部屋はもぬけの殻になった。

2年前、物件探してみた光景と、まったく同じである。
改めてみると、やはり広い。
荷詰めをすべて完了した引越し業者を見送り、しばし何も無い部屋の中で一人たたずんだ。
朝感じた、「感慨」を再び思い返した。
月並みな言い方だが、まさに走馬灯のように、よみがえってきた。
ただ、不思議と「後味の悪い」場面というのは無かった。
すべてが、ここに完結している、という実感があったのかもしれない。
ふと携帯に電話が入る。
不動産屋からで、「13:00に予定していた鍵の引取りを12:00に前倒したい。」とのこと。
ちょうど「何も無い部屋で1時間どうしよう。」と思っていたところなので、これはかえって好都合だった。
時刻は11:30。
歩いてイオンまで行き、飯を食う。
12:00に不動産屋を受け入れ、点検をしてもらう。
すると、再び携帯が・・・。
Aである。
昼飯の誘いだった。
これは実は、Aには悪いが私にとってはさらに好都合だった。
私はこの後、自力で市役所に行き、転出手続きをする必要があった。
部屋を追い出され、かつ市役所まで歩くのを、憂鬱に思っていたところだった。
正直、昼飯は済んでいたのだが、それは言わずに、Aの誘いに乗った。
この後市役所に行くとAに話すと、Aは昼食の場に「市役所の食堂」を選んだ。
相変わらず、意外な穴場を知っている。
食堂で飯を食いながら、今日の挨拶の話や、職場での話等、相変わらずとりとめも無いことを話していた。
これが、最後の食事であることを、お互い感じながら・・・。
昼食が終わり、市役所の「各種届出」コーナーのまで、Aと別れることになった。
別れる前に握手を交わした。
Aは、なんともいえない表情を見せた。
「さようなら」
「また会おう」
交わした言葉は、おとといの酔ったときと同様の、ずれを生んでいた。
おそらく感情自体も、去るものと残るもののずれがあったとは思われる。
ただ、私の中では、もちろん終わりでもさよならでもない。
彼とは、今後も付き合いは続くものと確信している。
彼もそのつもりでいることを信じたい。
今まで、言い忘れたことが一つある。
孤立無援の新居浜。
そんな中で、こんなにも楽しく過ごすことができたのは、明らかに彼のおかげである。
この場を借りて、礼を言いたい。
役所での手続きは、田舎のためかわずか10程度で終了。
その後に寄った郵便局での転居手続きを終え、いよいよ新居浜でやることは無くなった。
時間はまだ13:00過ぎである。
すこし、「夕方まで残ってAとまた飲むか。」とも考えたが、足も無い状態でここ新居浜で5時間以上も過ごすのはちとつらい。
ましては、あの別れから、「まだいるよ〜ん。」と声をかけるのも、さすがに絵にならないような気がした。
というわけで、なるべく空港に近い、松山まで移動することにした。
新居浜発松山行きのしおかぜは14:00半ば。
1時間弱ほど時間があるため、駅まで歩くことにした。
思えばこのルートを、歩いて移動したことは今まで無かった。
見慣れた風景が、歩いてみると新鮮に映った。
2年前、その「暴力追放」という怪しげな赤いネオンを見て、なんともいえないいやな気持ちになった警察署。
歩きながら見ると、案外普通の、小さな建物に見えた。

つぶれかけた売店の窓に貼ってあったポスター。
新居浜にも、ちゃんと大物はやってくる。
Aには是非、見に行ってほしい気がする。

最後のセッションの場となった、YAMAHAスタジオ。
あまりにも立派である。
「駅前再開発」の、ある意味象徴的な存在なのかもしれない。

14:00前に、新居浜駅に着く。
すると、今まで降っていなかった雨が急に降り始めた。
傘を持っていなかった私にとっては、まさに間一髪だった。
思えば、不動産屋の前倒しといい、Aの昼食の誘いといい、旅立ちを直前に控えた私に、新居浜の町はとても優しかった。
最後の最後は、ことごとくタイミングが合っていた。
新居浜の町も、私の門出を祝福しているのか・・・。
まあ何はともあれ、すがすがしい気持ちで新居浜を去ることができた。
いろいろなことがあったが、いろいろと学ばせてくれた新居浜。
ここを去る今になって、やっと素直に、この言葉が言えるような気がする。
「ありがとう、新居浜。」
ドキュメント さらば四国#1
◆3/29〜30 最後の四国へ
3/29(土) AM6:30 普段よりやや早めの時刻に目覚めた。
昨晩の酒が、まだ抜けていない。
頭痛と、若干の吐き気を抑えながら、大和寮の共同風呂に向かう。
本来ならば休日であり、昼近くまで眠っていたいところであるが、この週末の私は朝から大事な業務を控えていた。
この週末で、私は2年間の出向期間を満了し、愛媛から神奈川への引越しをする。
ありきたりな言い方でいえば、「待ちに待った」その瞬間が、いよいよやってきた、というところか・・・。
しかし、実際には、このころはそれほどの感慨や歓喜といった感情は、あまり沸いては来なかった。
引越しという、ある意味煩雑な業務を効率的に進めていこう、という冷静な気持ちが大半である。
もちろん、今回の帰還を望んでいない、というわけではない。
正直言えば、出向中の2年間は「この日のために」闘ってきた、と言っても過言ではない。
ただ、今の私は1月より出張という形ですでに藤沢で仕事を進めており、すでに体の重心の半分以上は藤沢に移っている。
そういう意味では、2年間の目標の半分以上は、すでに達成されてしまっている。
そんな中で、このころの私は、帰還するしないよりも「藤沢帰還後」のことに注目していた。
藤沢は、決して天国ではない。
ここはここで、いろいろな課題があり、ひとつひとつを解決していかなければならない。
それはおそらく、どの土地に行っても避けられないことであろう。
思えば、2年前に四国に出向するときも、当時の本拠地(そのころは藤沢ではなく横浜だったが)に、自分がぴったりマッチしていたかというと、そうとも言えない。
あのころはあのころで、大きな疑問や不満を抱え、それが不安となって私を包み込んでいた。
そういった不安は、2年間たったところで、何も解決されてはいない。
これからどんどん、そういったものに直面する。
いや、今まで感じたことのない、新たな問題にも直面するであろう。
前日の宴会は、そういうことを肌で感じさせる会だった。
楽しかったのは事実であるが、その裏に内在するさまざまな思惑や感情が見え隠れする微妙な会であった。(少なくとも、私にはそう感じられた。)
こういう状況はサラリーマンの飲み会にはよくあることだが、意外にもこの手の飲み会は四国ではほとんど「皆無」であった。
私はこの場で、2年間味わずに済んでいた感情を、再び味わうことに少々戸惑いを感じていた。
その宴会の翌日、ということもあったのだろうか。
歓喜よりも、倦怠感が大半を閉める状態で、相鉄線に飛び乗った。
***
今回の移動は、新幹線を利用した。
飛行機でちょうどいい便が無かった、というのもあるが、このころは「特割」チケットが無く、片道3万円以上の金額がかかる。
もちろん会社負担なので高くてもかまわないのだが、この手のコストを気にする人間も結構いる。
余計な批判を浴びたくは無い、という気持ちもあった。
相鉄から市営地下鉄と乗り継ぎ、新横浜駅に着く。
実はここ新横浜で、一人の友人と待ち合わせをしていた。
この友人(ここでは「A」とさせていただく)は、私と同じ四国の職場の同僚。
このブログにも、たまにちょこっと登場している。
Aは歳は私より1つ下。
新居浜には私より2年ほど早く、転勤で住んでいる。
同じ職場とはいえ、私はエンジニア、Aは業務系というまったく異なる部署のため、仕事上の接点はほとんど無かった。
ただし、なぜか最初に私を飲みに誘ったのは彼だった。
私が新居浜で新居探しをする際に、Aが不動産屋に案内してくれたときのことである。
孤立無援、不安に満ち溢れていた私にとって、かなりうれしかったことを今でも覚えている。
連れて行かれた店が、「養老の滝」だったことに、いささか戸惑いを覚えたが・・・。
その後の私は、口をあけて待っていた「絶望的なプロジェクト」に飲み込まれていったため、彼との付き合いはさほど多くは無かったが、そのプロジェクトが落ち着きはじめた2007年4月以降は、徐々に親交を深めていった。
プロジェクトメンバーが徐々に減っていくことによる孤独感も、そうさせた理由なのかもしれない。
昨年の後半は、おそらく週2〜3回のペースで、サシで飲みに行っていた。
休日も、彼と過ごすことが多かった。
Aの趣味である山登りに私が付き合ったり、私からAにゴルフを教えたり・・・。
春は2人で、小雨振る中、夜桜見物をしたのを思い出す。
「それだけ頻繁に会って、よくそれだけ話すことがあるな」と私自身も思うが、彼との会話は飽きなかった。
おそらく、同じ話を繰り返している部分も多いと思うが、それでも日々共感と発見があった。
「いい具合にひん曲がった視点」を、Aも私も持っており、その曲がり方が合っていたような気がする。
しかし、何より我々をひきつけた大きな理由は、二人とも「新居浜になじめなかった」ことがあげられるだろう。
お互い、「ここは何か違う」という大きな疑問を抱え、それを自分の中で消化できなかった者同士である。
そういう意味では、お互い「すがる」様に、日々をすごしていたのかもしれない。
ただ、我々は、「なじめない」ゆえに引きこもろうとか、自分を曲げてなじもうとかすることはしなかった。
「ここ新居浜で、周りとは違うやり方で、オレらなりに楽しんでやる。」
という気持ちが、ふつふつと沸いていた。
この新居浜という環境でも、ゆるぎない自己を確認したい・・・そんな気持ちが2人にはあったと思う。
その最終的な形が、バンド活動だったような気がする。
バンドの話を持ちかけたのはAのほうだった。
(Aはギタリストである。)
私は音楽鑑賞こそするものの、やるほうはまったくの素人。
「いやあ、無理でしょう。」と最初は思ったが、次第に心動かされていった。
おそらく、前述の「自己の確認」への思いが、そうさせたような気がする。
そんなAが、この引越しの日は、新横浜にいた。
もちろん、私を出迎えるために、ではない。
Aの昔の職場の先輩が、このたび退社されることとなり、
「この機を逃すと、もう一生あえないかもしれない。」
と思い、昨日は平日にもかかわらず、急遽有休をとり横浜まで向かったそうだ。
で、せっかくなので帰りは一緒に、という話になり、この日に至ったわけである。
新幹線での移動時間は約3時間、さらに岡山から新居浜まで特急「しおかぜ」で一時間半。
かなりの長旅であるが、我々2人はその間寝ることも無く、ひたすら語り合った。
おそらく、そこに出てくる話題は、過去の飲み会の中で何度か登場しているものばかりなのかもしれない。
別れが直近に迫っているが、かといって特別な話題を話したわけでもなかった。
ただ、逆にそれが、自分には心地よかった。
四国生活は残りわずか・・・だからこそ、今までと同じようなすごし方が、この場はいいような気がした。
新居浜に着いたのはPM2:00過ぎ。
実は15:00から、スタジオで最後のセッションをすることになっていた。
お互い、一度部屋に戻り、改めてYAMAHAのスタジオ前に集合することとした。
バンドのメンバーは、ギターのA、ボーカルの私のほかに、同じ職場の女性がドラムを担当している。
計3人。残念ながら、ベースはいない。
ドラムの女性は、我々2人とは世代も音楽的方向性もまったく違う中、ドラムができるという理由だけで半ば強引に引き込んでしまった経緯がある。
しかも、彼女は新居浜の出身。
我々の奥底にある気持ちとは、ある意味対極にいる。
その場につき合わせてしまったことを、ある意味申し訳なく思う。
で、その最後のセッションだが、正直「有終の美」というわけにはいかなかった。
やはり、私の長期不在がたたったのだろうか。
互いの練習不足は否めなかった。
直前の準備不測も響いた。
本来なら、ちゃんとした音源として収録する予定だったが、結局そこまでには至らなかった。
ただ、今思えば、音源を残すこと自体、あまり意味があることではないような気もした。
こういうことをやったこと、やれたことに、意味がある。
おそらく、それでよい。
ただ、この最後のセッションには、ちょっとしたハプニングがあった。
我々3人が練習していると、ドアの外で我々の演奏を耳をすませて聴いているおっさんがいる。
おそらく50歳〜60歳程度。緑色のジャンパーを着ている。
気になった我々が演奏を止めると、
「外で聞かせてもらっていいですか?」
当初、「なんかの工事業者が、誰かを待ってそこに立っているだけだろう」と思い、構わず演奏を続けると、そのおっさんは頭をドアに押し付け、目をつぶって我々の演奏に集中し始めた。
その光景があまりにも奇異に感じられ、私は少し不快な気持ちになった。
1曲演奏が終わると、おっさんは再びドアを開け、
「皆さんは、オリジナルをお持ちですか。」
と問いかけてきた。
このころの私は、完全に彼を「不審者」と思い、ちょっと強い口調で「無いです。」と言い放った。
すると彼は私に、
「いや、あなたの声、最高です。すごくいいですよ。」
といい始めたのだ。
「まあ、いいです、いいですから。」
と半ば追い出すような形で、私は彼の話をさえぎった。
その後、彼はドアの前から消えたが、それを見たAがこんなことを言い出した。
「いや、これ、スカウトかもしれませんよ。業界っぽいジャンバー着てたし。電話番号聞いたほういいですよ。」
え・・・?
この40間際の男に、スカウト・・・無いでしょう。
第一、明後日には新居浜を去るのに、ここでスカウトとは・・・。
さなえもんじゃあるまいし。
しかし、私もかつてはASAYANの男性ボーカリスト募集に、一度は応募しようかと思った男。
(当時の年齢制限で、応募はできなかったが。)
ひょっとしたら、自分が耳からサングラスを垂らし、ケミストリーとして歌っていたかもしれない・・・。
そんなことを思い出しつつ、セッションをスタジオを出ると、そのおっさんがまだ店内にいる。
オレを待っていた、わけではないようだが、やはりYAMAHAに出入りする音楽関係の人間のようだ。
おそるおそる、話しかけてみた。
「先ほどは失礼しました。」
「いやあ、あなたの声、最高ですよ。ぜひカントリーとか、歌ってほしいですね。」
カントリーか・・・。未開の地だ。
確かにCCRとかはカントリーぽいらしいが。
おっさん曰く
「私どもの会社は、新居浜周辺のバンドを紹介するウェブサイトを運営しています。
で、ぜひあなた方を紹介したいのですが、コピーですと著作権の問題があるので、オリジナルがあればと思いまして・・・。」
残念ながら、スカウトの話ではなかったようである。
ただ、とりあえず、「自己の確認のために」我々のやったことが何らかの形で外に響いたことは事実である。
自分の歌唱力が評価されたこともうれしいが、それ以上にそのことにうれしさを感じた。
そのおっさんから、もらった名刺である。


「思い立ったら、いつでも連絡ください。」
と言われたが、いささか出会うのが遅すぎた。
ある意味、皮肉ではある。
YAMAHAのスタジオを出た後、ドラムの女性と別れ、2人でお決まりのように飲みに出かけた。
といっても、時刻はまだ17:00。
開店している店はほとんど無い。
当然の帰結、という形で、この時間から開店している「養老の滝」に向かう。
昨年後半からは、この「養老の滝」にもずいぶんと行かせてもらった。
店員にも完全に顔を覚えられた。
特に、この店のおばちゃんにはひどく気に入られ、すでに新居浜を去ることを知っていたので、また顔を出した私を見てたいそう喜んでくれていた。
私と同じく、今日で、「養老」を去るバイトのお姉ちゃんがいて、彼女と話したりもした。
めずらしく、楽しい時間であった。
「居場所が無い」と思い続けていた新居浜だったが、無意識に居場所を見つけていたのかもしれない。
その後、Aとよく飲んだ店を転々とした。
面識のある店員には、新居浜を去るという挨拶をした。
もはや詳細の記憶は残っていないが・・・。
途中、昨年に何度か行った「東南アジア系」の店にも行ってみた。
私のおはこ「矢沢永吉」を、 「マイケル・ジャクソン」と評価してくれた店だ。
この店の女性とは、何度か昼のイオンで会ったことがあり、その都度気まずい思いをしていた。
あの店は、今も健在だろうか・・・。
ところが、この店、開店はしているものの、女性(タレント)はほとんどいなくなってしまったらしい。
「オールディーズバー」と名を変えているものの、BGMがオールディーズというだけで、店はがらんどうだった。

自分の環境の変化するのと同じように、新居浜自体も変化する・・・。
無常感を改めて感じさせられた。
この店にはいけず、結局男2人でカラオケボックスへ。
曲目やら、その場の空気やら、あまり考えずにできるカラオケは、最近は少ない。
それをAと、久々に満喫した。
この店を出た後、Aはさらに別の店に行こうとしていたが、私はすでに肉体的な限界を迎えていた。
何しろ、17:00から飲んでいる。
時刻はそろそろ、深夜1:00になろうとしていた。
もはや、マーライオンとなる寸前であった。
Aはしぶしぶ、了解した。
こういう夜は、おそらくこれが最後であろう。
彼の気持ちもわかったし、うれしくもあった。
ただ、明日は明日で、引越しの最終準備で、多大な業務があった。
二日酔いでダウンしている時間は無かった。
代行の車が来たとき、Aは私に「さようなら」と手を上げた。
「いや、また会えるでしょ。すぐ会えるよ。」と私は返した。
これは私の本音だった。
最近は、四国だって行こうと思えばすぐいける。
逆もそうだ。
会うことなんてすぐできる。
「さようなら」など、言う必要は無い。
ただ、残された者の感情は、また違うものなのだろう、ということも想像できた。
確かに「日常」の中からは、私は消える。
そのことを、ここ新居浜で受け入れることのつらさは、痛いほどわかった。
泥酔と吐き気の中で、複雑な気持ちが残る中、気を失うように眠りについた。
***
翌朝、予定していたエアコンの取り外しと、車の受け渡しを無事に済ませ、残った家財の梱包に取り掛かった。
前回に来たときに、ほとんど済ませたつもりだったが、まだまだかなりの量があり、結局日中は片付け作業に費やした。
外はあいにくの雨だった。
ただ、家には家具のほか、大量の洗濯物が残っており、これを洗濯・乾燥する必要があった。
歩いて、イオン横にあるコインランドリーを何度か往復した。
相変わらず、新居浜は私のすることに厳しい町である。
この日の夜、昨日しこたま飲んだAから電話があった。
夕食の誘いだった。
「ほら、昨日「さよなら」とか言ったって、また翌日会うじゃんか。」
と私は冷やかした。
程なく車で私を迎えに来たが、Aの様子がおかしい。
どうやら、昨日の暴飲と前日までのハードスケジュールのため、体調を崩していたようだ。
「それでも、何とかしたい」という気持ちはうれしいが、実際体調がつらいのではどうしようもない。
この場は、結局食事には行かず、すぐに別れた。
翌日はいよいよ引越しの日。
引越しは朝9:00からだったが、その前後のタイミングで、四国の職場に挨拶に行こうと考えていた。
当初、夕方にふらっと顔を出そうかと考えていたが、Aのアドバイスで「朝礼」のタイミングで挨拶に行くことにした。
四国営業所の定時は8:30から。
確かに、朝礼の場で挨拶だけして、タクシーで戻れば9:00には間に合う。
そのほうが、スパッと帰れるし、後腐れも無い。
夕方だと、なんだかんだでダラダラと残ってしまうような気がした。
この日の夜は、最後の挨拶についていろいろ考えた。
ただ、結局いい言葉が思い浮かばなかった。
どの言葉も、うそのような気がするし、かといって刺激的なことを言うのも避けたかった。
結局、ちゃんとした文章も思い浮かばぬまま眠りに着いた。
3/29(土) AM6:30 普段よりやや早めの時刻に目覚めた。
昨晩の酒が、まだ抜けていない。
頭痛と、若干の吐き気を抑えながら、大和寮の共同風呂に向かう。
本来ならば休日であり、昼近くまで眠っていたいところであるが、この週末の私は朝から大事な業務を控えていた。
この週末で、私は2年間の出向期間を満了し、愛媛から神奈川への引越しをする。
ありきたりな言い方でいえば、「待ちに待った」その瞬間が、いよいよやってきた、というところか・・・。
しかし、実際には、このころはそれほどの感慨や歓喜といった感情は、あまり沸いては来なかった。
引越しという、ある意味煩雑な業務を効率的に進めていこう、という冷静な気持ちが大半である。
もちろん、今回の帰還を望んでいない、というわけではない。
正直言えば、出向中の2年間は「この日のために」闘ってきた、と言っても過言ではない。
ただ、今の私は1月より出張という形ですでに藤沢で仕事を進めており、すでに体の重心の半分以上は藤沢に移っている。
そういう意味では、2年間の目標の半分以上は、すでに達成されてしまっている。
そんな中で、このころの私は、帰還するしないよりも「藤沢帰還後」のことに注目していた。
藤沢は、決して天国ではない。
ここはここで、いろいろな課題があり、ひとつひとつを解決していかなければならない。
それはおそらく、どの土地に行っても避けられないことであろう。
思えば、2年前に四国に出向するときも、当時の本拠地(そのころは藤沢ではなく横浜だったが)に、自分がぴったりマッチしていたかというと、そうとも言えない。
あのころはあのころで、大きな疑問や不満を抱え、それが不安となって私を包み込んでいた。
そういった不安は、2年間たったところで、何も解決されてはいない。
これからどんどん、そういったものに直面する。
いや、今まで感じたことのない、新たな問題にも直面するであろう。
前日の宴会は、そういうことを肌で感じさせる会だった。
楽しかったのは事実であるが、その裏に内在するさまざまな思惑や感情が見え隠れする微妙な会であった。(少なくとも、私にはそう感じられた。)
こういう状況はサラリーマンの飲み会にはよくあることだが、意外にもこの手の飲み会は四国ではほとんど「皆無」であった。
私はこの場で、2年間味わずに済んでいた感情を、再び味わうことに少々戸惑いを感じていた。
その宴会の翌日、ということもあったのだろうか。
歓喜よりも、倦怠感が大半を閉める状態で、相鉄線に飛び乗った。
***
今回の移動は、新幹線を利用した。
飛行機でちょうどいい便が無かった、というのもあるが、このころは「特割」チケットが無く、片道3万円以上の金額がかかる。
もちろん会社負担なので高くてもかまわないのだが、この手のコストを気にする人間も結構いる。
余計な批判を浴びたくは無い、という気持ちもあった。
相鉄から市営地下鉄と乗り継ぎ、新横浜駅に着く。
実はここ新横浜で、一人の友人と待ち合わせをしていた。
この友人(ここでは「A」とさせていただく)は、私と同じ四国の職場の同僚。
このブログにも、たまにちょこっと登場している。
Aは歳は私より1つ下。
新居浜には私より2年ほど早く、転勤で住んでいる。
同じ職場とはいえ、私はエンジニア、Aは業務系というまったく異なる部署のため、仕事上の接点はほとんど無かった。
ただし、なぜか最初に私を飲みに誘ったのは彼だった。
私が新居浜で新居探しをする際に、Aが不動産屋に案内してくれたときのことである。
孤立無援、不安に満ち溢れていた私にとって、かなりうれしかったことを今でも覚えている。
連れて行かれた店が、「養老の滝」だったことに、いささか戸惑いを覚えたが・・・。
その後の私は、口をあけて待っていた「絶望的なプロジェクト」に飲み込まれていったため、彼との付き合いはさほど多くは無かったが、そのプロジェクトが落ち着きはじめた2007年4月以降は、徐々に親交を深めていった。
プロジェクトメンバーが徐々に減っていくことによる孤独感も、そうさせた理由なのかもしれない。
昨年の後半は、おそらく週2〜3回のペースで、サシで飲みに行っていた。
休日も、彼と過ごすことが多かった。
Aの趣味である山登りに私が付き合ったり、私からAにゴルフを教えたり・・・。
春は2人で、小雨振る中、夜桜見物をしたのを思い出す。
「それだけ頻繁に会って、よくそれだけ話すことがあるな」と私自身も思うが、彼との会話は飽きなかった。
おそらく、同じ話を繰り返している部分も多いと思うが、それでも日々共感と発見があった。
「いい具合にひん曲がった視点」を、Aも私も持っており、その曲がり方が合っていたような気がする。
しかし、何より我々をひきつけた大きな理由は、二人とも「新居浜になじめなかった」ことがあげられるだろう。
お互い、「ここは何か違う」という大きな疑問を抱え、それを自分の中で消化できなかった者同士である。
そういう意味では、お互い「すがる」様に、日々をすごしていたのかもしれない。
ただ、我々は、「なじめない」ゆえに引きこもろうとか、自分を曲げてなじもうとかすることはしなかった。
「ここ新居浜で、周りとは違うやり方で、オレらなりに楽しんでやる。」
という気持ちが、ふつふつと沸いていた。
この新居浜という環境でも、ゆるぎない自己を確認したい・・・そんな気持ちが2人にはあったと思う。
その最終的な形が、バンド活動だったような気がする。
バンドの話を持ちかけたのはAのほうだった。
(Aはギタリストである。)
私は音楽鑑賞こそするものの、やるほうはまったくの素人。
「いやあ、無理でしょう。」と最初は思ったが、次第に心動かされていった。
おそらく、前述の「自己の確認」への思いが、そうさせたような気がする。
そんなAが、この引越しの日は、新横浜にいた。
もちろん、私を出迎えるために、ではない。
Aの昔の職場の先輩が、このたび退社されることとなり、
「この機を逃すと、もう一生あえないかもしれない。」
と思い、昨日は平日にもかかわらず、急遽有休をとり横浜まで向かったそうだ。
で、せっかくなので帰りは一緒に、という話になり、この日に至ったわけである。
新幹線での移動時間は約3時間、さらに岡山から新居浜まで特急「しおかぜ」で一時間半。
かなりの長旅であるが、我々2人はその間寝ることも無く、ひたすら語り合った。
おそらく、そこに出てくる話題は、過去の飲み会の中で何度か登場しているものばかりなのかもしれない。
別れが直近に迫っているが、かといって特別な話題を話したわけでもなかった。
ただ、逆にそれが、自分には心地よかった。
四国生活は残りわずか・・・だからこそ、今までと同じようなすごし方が、この場はいいような気がした。
新居浜に着いたのはPM2:00過ぎ。
実は15:00から、スタジオで最後のセッションをすることになっていた。
お互い、一度部屋に戻り、改めてYAMAHAのスタジオ前に集合することとした。
バンドのメンバーは、ギターのA、ボーカルの私のほかに、同じ職場の女性がドラムを担当している。
計3人。残念ながら、ベースはいない。
ドラムの女性は、我々2人とは世代も音楽的方向性もまったく違う中、ドラムができるという理由だけで半ば強引に引き込んでしまった経緯がある。
しかも、彼女は新居浜の出身。
我々の奥底にある気持ちとは、ある意味対極にいる。
その場につき合わせてしまったことを、ある意味申し訳なく思う。
で、その最後のセッションだが、正直「有終の美」というわけにはいかなかった。
やはり、私の長期不在がたたったのだろうか。
互いの練習不足は否めなかった。
直前の準備不測も響いた。
本来なら、ちゃんとした音源として収録する予定だったが、結局そこまでには至らなかった。
ただ、今思えば、音源を残すこと自体、あまり意味があることではないような気もした。
こういうことをやったこと、やれたことに、意味がある。
おそらく、それでよい。
ただ、この最後のセッションには、ちょっとしたハプニングがあった。
我々3人が練習していると、ドアの外で我々の演奏を耳をすませて聴いているおっさんがいる。
おそらく50歳〜60歳程度。緑色のジャンパーを着ている。
気になった我々が演奏を止めると、
「外で聞かせてもらっていいですか?」
当初、「なんかの工事業者が、誰かを待ってそこに立っているだけだろう」と思い、構わず演奏を続けると、そのおっさんは頭をドアに押し付け、目をつぶって我々の演奏に集中し始めた。
その光景があまりにも奇異に感じられ、私は少し不快な気持ちになった。
1曲演奏が終わると、おっさんは再びドアを開け、
「皆さんは、オリジナルをお持ちですか。」
と問いかけてきた。
このころの私は、完全に彼を「不審者」と思い、ちょっと強い口調で「無いです。」と言い放った。
すると彼は私に、
「いや、あなたの声、最高です。すごくいいですよ。」
といい始めたのだ。
「まあ、いいです、いいですから。」
と半ば追い出すような形で、私は彼の話をさえぎった。
その後、彼はドアの前から消えたが、それを見たAがこんなことを言い出した。
「いや、これ、スカウトかもしれませんよ。業界っぽいジャンバー着てたし。電話番号聞いたほういいですよ。」
え・・・?
この40間際の男に、スカウト・・・無いでしょう。
第一、明後日には新居浜を去るのに、ここでスカウトとは・・・。
さなえもんじゃあるまいし。
しかし、私もかつてはASAYANの男性ボーカリスト募集に、一度は応募しようかと思った男。
(当時の年齢制限で、応募はできなかったが。)
ひょっとしたら、自分が耳からサングラスを垂らし、ケミストリーとして歌っていたかもしれない・・・。
そんなことを思い出しつつ、セッションをスタジオを出ると、そのおっさんがまだ店内にいる。
オレを待っていた、わけではないようだが、やはりYAMAHAに出入りする音楽関係の人間のようだ。
おそるおそる、話しかけてみた。
「先ほどは失礼しました。」
「いやあ、あなたの声、最高ですよ。ぜひカントリーとか、歌ってほしいですね。」
カントリーか・・・。未開の地だ。
確かにCCRとかはカントリーぽいらしいが。
おっさん曰く
「私どもの会社は、新居浜周辺のバンドを紹介するウェブサイトを運営しています。
で、ぜひあなた方を紹介したいのですが、コピーですと著作権の問題があるので、オリジナルがあればと思いまして・・・。」
残念ながら、スカウトの話ではなかったようである。
ただ、とりあえず、「自己の確認のために」我々のやったことが何らかの形で外に響いたことは事実である。
自分の歌唱力が評価されたこともうれしいが、それ以上にそのことにうれしさを感じた。
そのおっさんから、もらった名刺である。


「思い立ったら、いつでも連絡ください。」
と言われたが、いささか出会うのが遅すぎた。
ある意味、皮肉ではある。
YAMAHAのスタジオを出た後、ドラムの女性と別れ、2人でお決まりのように飲みに出かけた。
といっても、時刻はまだ17:00。
開店している店はほとんど無い。
当然の帰結、という形で、この時間から開店している「養老の滝」に向かう。
昨年後半からは、この「養老の滝」にもずいぶんと行かせてもらった。
店員にも完全に顔を覚えられた。
特に、この店のおばちゃんにはひどく気に入られ、すでに新居浜を去ることを知っていたので、また顔を出した私を見てたいそう喜んでくれていた。
私と同じく、今日で、「養老」を去るバイトのお姉ちゃんがいて、彼女と話したりもした。
めずらしく、楽しい時間であった。
「居場所が無い」と思い続けていた新居浜だったが、無意識に居場所を見つけていたのかもしれない。
その後、Aとよく飲んだ店を転々とした。
面識のある店員には、新居浜を去るという挨拶をした。
もはや詳細の記憶は残っていないが・・・。
途中、昨年に何度か行った「東南アジア系」の店にも行ってみた。
私のおはこ「矢沢永吉」を、 「マイケル・ジャクソン」と評価してくれた店だ。
この店の女性とは、何度か昼のイオンで会ったことがあり、その都度気まずい思いをしていた。
あの店は、今も健在だろうか・・・。
ところが、この店、開店はしているものの、女性(タレント)はほとんどいなくなってしまったらしい。
「オールディーズバー」と名を変えているものの、BGMがオールディーズというだけで、店はがらんどうだった。

自分の環境の変化するのと同じように、新居浜自体も変化する・・・。
無常感を改めて感じさせられた。
この店にはいけず、結局男2人でカラオケボックスへ。
曲目やら、その場の空気やら、あまり考えずにできるカラオケは、最近は少ない。
それをAと、久々に満喫した。
この店を出た後、Aはさらに別の店に行こうとしていたが、私はすでに肉体的な限界を迎えていた。
何しろ、17:00から飲んでいる。
時刻はそろそろ、深夜1:00になろうとしていた。
もはや、マーライオンとなる寸前であった。
Aはしぶしぶ、了解した。
こういう夜は、おそらくこれが最後であろう。
彼の気持ちもわかったし、うれしくもあった。
ただ、明日は明日で、引越しの最終準備で、多大な業務があった。
二日酔いでダウンしている時間は無かった。
代行の車が来たとき、Aは私に「さようなら」と手を上げた。
「いや、また会えるでしょ。すぐ会えるよ。」と私は返した。
これは私の本音だった。
最近は、四国だって行こうと思えばすぐいける。
逆もそうだ。
会うことなんてすぐできる。
「さようなら」など、言う必要は無い。
ただ、残された者の感情は、また違うものなのだろう、ということも想像できた。
確かに「日常」の中からは、私は消える。
そのことを、ここ新居浜で受け入れることのつらさは、痛いほどわかった。
泥酔と吐き気の中で、複雑な気持ちが残る中、気を失うように眠りについた。
***
翌朝、予定していたエアコンの取り外しと、車の受け渡しを無事に済ませ、残った家財の梱包に取り掛かった。
前回に来たときに、ほとんど済ませたつもりだったが、まだまだかなりの量があり、結局日中は片付け作業に費やした。
外はあいにくの雨だった。
ただ、家には家具のほか、大量の洗濯物が残っており、これを洗濯・乾燥する必要があった。
歩いて、イオン横にあるコインランドリーを何度か往復した。
相変わらず、新居浜は私のすることに厳しい町である。
この日の夜、昨日しこたま飲んだAから電話があった。
夕食の誘いだった。
「ほら、昨日「さよなら」とか言ったって、また翌日会うじゃんか。」
と私は冷やかした。
程なく車で私を迎えに来たが、Aの様子がおかしい。
どうやら、昨日の暴飲と前日までのハードスケジュールのため、体調を崩していたようだ。
「それでも、何とかしたい」という気持ちはうれしいが、実際体調がつらいのではどうしようもない。
この場は、結局食事には行かず、すぐに別れた。
翌日はいよいよ引越しの日。
引越しは朝9:00からだったが、その前後のタイミングで、四国の職場に挨拶に行こうと考えていた。
当初、夕方にふらっと顔を出そうかと考えていたが、Aのアドバイスで「朝礼」のタイミングで挨拶に行くことにした。
四国営業所の定時は8:30から。
確かに、朝礼の場で挨拶だけして、タクシーで戻れば9:00には間に合う。
そのほうが、スパッと帰れるし、後腐れも無い。
夕方だと、なんだかんだでダラダラと残ってしまうような気がした。
この日の夜は、最後の挨拶についていろいろ考えた。
ただ、結局いい言葉が思い浮かばなかった。
どの言葉も、うそのような気がするし、かといって刺激的なことを言うのも避けたかった。
結局、ちゃんとした文章も思い浮かばぬまま眠りに着いた。
さらば、ヤマト。
春ですね。
いよいよ、4月を直前に控える時期まで来ました。
一昨年4月より始まった愛媛での出向生活。
長かった戦いに、終止符が打たれるときが、いよいよやってきました。
明日3月31日、いよいよ引越しの日を迎えます。
が、その前に・・・。
私は1月から、「出張」という形で、神奈川県大和市にある弊社の大和寮に住んでおりました。
まずは、現在の生活の拠点である大和寮を引き払うことから、はじめなければなりません。
先週末、部屋の中を片付けました。

大和寮にいたのは結局2ヵ月半。
それまで、寮内での交流は、残念ながらありませんでした。
思えばここに住んでいる寮生は、最年長で29歳。
私は今年39歳になります。
平均では、恐らく干支を1周してもまだ余る世代です。
ジェネレーションギャップは、いかんともしがたいものがあります。
私自身は、彼らとそんなに差がない、と思っているのですが・・・。
風呂に入ったときとかも、肌の張りとか、あんまり変わらないような気がするし。
ただ、寮の大浴場で、「白髪染め」をしているのは、私だけのようでしたが・・・。
あの人は、こう言っています。

そっすよね、やっぱり。
おれなりに、磨いていきますよ。
大和での生活は、寮というある意味不自由な空間に長くいたわりには、それなりに快適でした。
ただ、殆どが外食だったので、更に太ってしまいましたね。
いよいよスーツが、入らなくなってきました。
一番世話になったのが、駅前にある松屋。
この松屋、他の店舗にはない、こんなサービスをしています。

・・・罪作りです。
その看板にはこの表記はなく、店内にしかないので、恐らく「裏」サービスなのでしょう。
私の今の腹回りを考えると、この罪は大きいですね。
・・・まあ、大人は人のせいにしてはいけません。
どんな状況でも、自律する強さを持たなければなりません。
2ヵ月半とはいえ、私が大和近辺に住んだのは約8年ぶり。
さすがに当時とは立ち並ぶ店は変わっていましたが、変わっていないものもありました。
その象徴的なものが、これ・・・。

これがある限り、大和は大和以上にはなれない・・・。
そんな気を起こさせる「象徴」は、相変わらずの怪しい輝きを放っていました。
さすがに店内には、足を踏み入れませんでしたが・・・。
(いや、ほんとですよ。いやまじで。)
この大和ミュージックの下に、もくもくと煙を放つ焼き鳥屋があります。
その地理的状況にもかかわらず、いつも繁盛しています。
今後機会があれば、一度行ってみたいとは思います。
(下だけですよ、いやまじで。)
大和には、もうひとつ象徴的なものがあります。
それは駅の構内にある、というか、現れます。
恐らく午後8時ころから、でしょうか。
小田急と相鉄が交差する大和駅の構内に、ピザを売る屋台が登場します。

駅前にあるイタリア料理屋が、恐らく売れ残ったピザをさばくためにはじめた策、なのでしょう。
店員の女性は、恐らく交代制で担当しているようですが、どの女性も見事な「アニメ声」で売り込みをしています。
混雑した駅の中でも、彼女達の声はよく通ります。
このピザ販売。
私が大和近辺に住んでいたころからありましたから、恐らく7、8年は続いているはず。
アニメ声は、恐らくその店内で「伝統」として受け継がれた「芸」なのでしょう。
ここまでくれは、見事な「大和の名物」といえます。
大和にいるのもあとわずか。
「一度くらい、このピザをかってみるか。」
と思い、屋台に近づいてみました。

すると、そのイタリアンカラーには全く不釣合いなおっさんが2人、屋台の前をウロウロしています。
明らかに、酔っ払いとわかるその挙動。
ある意味、これも代表的な「大和の名物」なのかもしれません。
その酔っ払い二人をかき分け、アニメ声のお姉さんに「シーフードピザ1つ」と注文すると、
「お兄さん、シーフードはおススメなんですか。」
と、おっさんの一人に話しかけられてしまいました。
一応
「もちろんですよ。うまいっすよ、ここのシーフードは。」
と返しておきました。
・・・食ったことないのは、言うまでもありませんが。
寮に戻り、シーフードピザを一人食しました。

一人でこの量は、やはり罪作りです。
そんな大和での生活も、昨日で最後となりました。
さらば、ヤマト・・・。

地球滅亡まで・・・。
ではありません。
出向完了まで、あと1日。
明日はいよいよ、愛媛に別れを告げるときがきます。
***今日の血圧(mmHg) 血圧計を梱包してしまいました・・・。***
ランキングです。どうかひとつ。

いよいよ、4月を直前に控える時期まで来ました。
一昨年4月より始まった愛媛での出向生活。
長かった戦いに、終止符が打たれるときが、いよいよやってきました。
明日3月31日、いよいよ引越しの日を迎えます。
が、その前に・・・。
私は1月から、「出張」という形で、神奈川県大和市にある弊社の大和寮に住んでおりました。
まずは、現在の生活の拠点である大和寮を引き払うことから、はじめなければなりません。
先週末、部屋の中を片付けました。

大和寮にいたのは結局2ヵ月半。
それまで、寮内での交流は、残念ながらありませんでした。
思えばここに住んでいる寮生は、最年長で29歳。
私は今年39歳になります。
平均では、恐らく干支を1周してもまだ余る世代です。
ジェネレーションギャップは、いかんともしがたいものがあります。
私自身は、彼らとそんなに差がない、と思っているのですが・・・。
風呂に入ったときとかも、肌の張りとか、あんまり変わらないような気がするし。
ただ、寮の大浴場で、「白髪染め」をしているのは、私だけのようでしたが・・・。
あの人は、こう言っています。

そっすよね、やっぱり。
おれなりに、磨いていきますよ。
大和での生活は、寮というある意味不自由な空間に長くいたわりには、それなりに快適でした。
ただ、殆どが外食だったので、更に太ってしまいましたね。
いよいよスーツが、入らなくなってきました。
一番世話になったのが、駅前にある松屋。
この松屋、他の店舗にはない、こんなサービスをしています。

・・・罪作りです。
その看板にはこの表記はなく、店内にしかないので、恐らく「裏」サービスなのでしょう。
私の今の腹回りを考えると、この罪は大きいですね。
・・・まあ、大人は人のせいにしてはいけません。
どんな状況でも、自律する強さを持たなければなりません。
2ヵ月半とはいえ、私が大和近辺に住んだのは約8年ぶり。
さすがに当時とは立ち並ぶ店は変わっていましたが、変わっていないものもありました。
その象徴的なものが、これ・・・。

これがある限り、大和は大和以上にはなれない・・・。
そんな気を起こさせる「象徴」は、相変わらずの怪しい輝きを放っていました。
さすがに店内には、足を踏み入れませんでしたが・・・。
(いや、ほんとですよ。いやまじで。)
この大和ミュージックの下に、もくもくと煙を放つ焼き鳥屋があります。
その地理的状況にもかかわらず、いつも繁盛しています。
今後機会があれば、一度行ってみたいとは思います。
(下だけですよ、いやまじで。)
大和には、もうひとつ象徴的なものがあります。
それは駅の構内にある、というか、現れます。
恐らく午後8時ころから、でしょうか。
小田急と相鉄が交差する大和駅の構内に、ピザを売る屋台が登場します。

駅前にあるイタリア料理屋が、恐らく売れ残ったピザをさばくためにはじめた策、なのでしょう。
店員の女性は、恐らく交代制で担当しているようですが、どの女性も見事な「アニメ声」で売り込みをしています。
混雑した駅の中でも、彼女達の声はよく通ります。
このピザ販売。
私が大和近辺に住んでいたころからありましたから、恐らく7、8年は続いているはず。
アニメ声は、恐らくその店内で「伝統」として受け継がれた「芸」なのでしょう。
ここまでくれは、見事な「大和の名物」といえます。
大和にいるのもあとわずか。
「一度くらい、このピザをかってみるか。」
と思い、屋台に近づいてみました。

すると、そのイタリアンカラーには全く不釣合いなおっさんが2人、屋台の前をウロウロしています。
明らかに、酔っ払いとわかるその挙動。
ある意味、これも代表的な「大和の名物」なのかもしれません。
その酔っ払い二人をかき分け、アニメ声のお姉さんに「シーフードピザ1つ」と注文すると、
「お兄さん、シーフードはおススメなんですか。」
と、おっさんの一人に話しかけられてしまいました。
一応
「もちろんですよ。うまいっすよ、ここのシーフードは。」
と返しておきました。
・・・食ったことないのは、言うまでもありませんが。
寮に戻り、シーフードピザを一人食しました。

一人でこの量は、やはり罪作りです。
そんな大和での生活も、昨日で最後となりました。
さらば、ヤマト・・・。

地球滅亡まで・・・。
ではありません。
出向完了まで、あと1日。
明日はいよいよ、愛媛に別れを告げるときがきます。
***今日の血圧(mmHg) 血圧計を梱包してしまいました・・・。***
ランキングです。どうかひとつ。



