風化するものと、しないもの
お久しぶりです。
雨が続いて、うっとうしい毎日ですね。
皆さん、いかがおすごしでしょうか?
私ですが、このところいろいろと思う事あり、記事をかけずにいました。
実はこのところ、ちょっとブログ書くことに疲れたというか、つらくなってきたというか・・・。
すごく今さらなのですが、
「こんなことつづけて何になる。」
という考えがしばらく続いていまして・・・。
仕事は特別忙しいわけではないのですが、書けずにいました。
何度かパソコンに向かいましたが、何も書けずやめることも何度かありました。
「ネタ切れ」といえば、そうなのかもしれません。
四国から帰還して、目標が無くなったのかもしれません。
でも本当の理由は、おそらくそうではありません。
***
今回はあんまり後先を考えず、今思うことを書いちゃいます。
面白くないです。
しかも長いです。
勝手な自分を、お許しください。
***
藤沢に正式に移ってから、かれこれ3か月。
正直、どうもしっくりきていません。
何かちぐはぐというか、自分が溶け込んでいないというか・・・。
実は、そうなることはある程度予想はしていました。
四国にいるころから、藤沢に戻った時のことを楽しみにしつつも、不安に感じてはいました。
結局途中で挫折はしましたが、お遍路に私を向かわせた理由も、思えばこの不安からでした。
この不安は、今のところ、当たっています。
それも、自分の想像以上のような気がします。
戻る側と受け入れる側の温度差があるのは、当たり前のことでしょう。
ただ2年という期間は、温度差だけでなく「風化」を生むようです。
あくまで感覚でしかないですが、ここ3か月で、人間関係の風化を感じています。
どこかほころびが出たり、気がつかないうちに距離が存在していたり・・・。
いやまあ、本当は最初からそうで、私自身だけが気付かなかっただけなのかもしれませんが・・・。
そういう付き合いしか、自分はしてこなかったのかもしれません。
自分を客観的に見ることは、結構難しいことです。
ついつい自分本位にものを考えてしまいます。
自分はここ数年・・・いや生まれてからずっとかもしれませんが・・・自分本位の見方しかしてこなかったような気がします。
それゆえ、自分の周りに起こっている現実に気付かない。
ブログというものは、限りなく自分本位のものです。
自分の考えや思うことを、ネット上とはいえ、自分勝手に社会に垂れ流す。
こういうことを続けていいのか、ちょっと悩んでいます。
(だったら今回の記事みたいなこと書くな、と言われそうですが。)
でもね・・・。
現実を見ないというのも、自分にとってはやむを得なかったような気もするのです。
自分に都合の悪い、というか、その事実があまりにも自分にとって「痛い」ことは、やはり見たくない。
というか、見続けたのでは、つらくて生きていけない。
最近、こんなことがありました。
兄の店のカウンターで飲んでいて、ふと私の新入社員の頃の話になりまして・・・。
職場の仕事と人間関係に嫌気がさした私は、兄に電話を入れたそうです。
「オレはもうだめだ、とてもやっていけない。」
心配した兄は、千葉から当時の独身寮のあった鎌倉に車で来たそうです。
で、ファミレスで私の悩みを聞き、励ましたそうです。
・・・実はこのときのことを、私自身「全く覚えていない」のです。
その時の自分の状況が、大したことではない、取るに足りないことだったというわけでは決してありません。
確かに、当時の私はひどく悩んでいました。
職場では全く自分を活かせず、周囲から人格も否定され、正直毎日「死にたい」と思っていました
・・・様な気がします。
詳細のことは、実は覚えていないのです。
というか、あの頃のことをはっきり覚えていて、それを日々感じていたら、たぶん生きていけない。
人間、本当に辛いことは、忘れるものです。
たぶん、生きるための本能だと思うのです。
自分にとって辛いことを「風化」させることによって、バランスをとって生きていく。
おそらく誰しも「風化させたいもの」と「風化させたくないもの」が、自分の周りに存在するのだと思います。
ただ、この「させたい」「させたくない」は、なかなか思い通りにはいかないものでもあります。
私は四国にいる間、前に住んでいた神奈川に帰る、地元に帰りやすい土地に帰ることを望んでいました。
ただし、そのことは同時に、遠ざけていた自分の過去に近づくことを意味します。
自分の中で風化させたものを、再び直視してしまう機会も、増えることになります。
四国から藤沢に帰ってから、職場でも地元でも、風化され切っていない過去に出会うことが増えています。
あくまで直接ではなく、「垣間見る」程度ですが・・・。
自分の中で風化していても、そのころにかかわっていた人にしてみれば、その時の自分しか知らないわけで、まあ当たり前といえば当たり前です。
そういう現実を、今更ながらに日々目の当たりにして、まあ憂鬱になっているわけです。
自分にとって「風化」させたいものが、ちょっと多すぎるのかもしれません。
そういう人生を、自分は歩んできてしまっています。
まあその辺が、いかんのですかねえ〜。
なにはともあれ、このところそんな状態で、いけてなく日々を過ごしています。
とりあえず、今いるところも地元も、自分の居場所には感じられないです。
ひょっとしたら、あんまり考えても仕方のないことなのかもしれません。
みんな居場所は見つからないけど、「これがあるからいいや」というものが見つかればいいのかもしれません。
皆さん、そうやってやってってるのかもしれませんね。
その存在が大きい人ほど、幸せなのかもしれません。
とりあえず、40を間近に控えても、惑いっぱなしですね。
今後もまあ、こんな感じなんでしょう。
どうか「変なやつ」「危ないやつ」と思わないで頂ければ、幸いです。
***今日の血圧(mmHg)161-117***
すごく久々に、測りました。
芳しくないですね。
気を付けます。
雨が続いて、うっとうしい毎日ですね。
皆さん、いかがおすごしでしょうか?
私ですが、このところいろいろと思う事あり、記事をかけずにいました。
実はこのところ、ちょっとブログ書くことに疲れたというか、つらくなってきたというか・・・。
すごく今さらなのですが、
「こんなことつづけて何になる。」
という考えがしばらく続いていまして・・・。
仕事は特別忙しいわけではないのですが、書けずにいました。
何度かパソコンに向かいましたが、何も書けずやめることも何度かありました。
「ネタ切れ」といえば、そうなのかもしれません。
四国から帰還して、目標が無くなったのかもしれません。
でも本当の理由は、おそらくそうではありません。
***
今回はあんまり後先を考えず、今思うことを書いちゃいます。
面白くないです。
しかも長いです。
勝手な自分を、お許しください。
***
藤沢に正式に移ってから、かれこれ3か月。
正直、どうもしっくりきていません。
何かちぐはぐというか、自分が溶け込んでいないというか・・・。
実は、そうなることはある程度予想はしていました。
四国にいるころから、藤沢に戻った時のことを楽しみにしつつも、不安に感じてはいました。
結局途中で挫折はしましたが、お遍路に私を向かわせた理由も、思えばこの不安からでした。
この不安は、今のところ、当たっています。
それも、自分の想像以上のような気がします。
戻る側と受け入れる側の温度差があるのは、当たり前のことでしょう。
ただ2年という期間は、温度差だけでなく「風化」を生むようです。
あくまで感覚でしかないですが、ここ3か月で、人間関係の風化を感じています。
どこかほころびが出たり、気がつかないうちに距離が存在していたり・・・。
いやまあ、本当は最初からそうで、私自身だけが気付かなかっただけなのかもしれませんが・・・。
そういう付き合いしか、自分はしてこなかったのかもしれません。
自分を客観的に見ることは、結構難しいことです。
ついつい自分本位にものを考えてしまいます。
自分はここ数年・・・いや生まれてからずっとかもしれませんが・・・自分本位の見方しかしてこなかったような気がします。
それゆえ、自分の周りに起こっている現実に気付かない。
ブログというものは、限りなく自分本位のものです。
自分の考えや思うことを、ネット上とはいえ、自分勝手に社会に垂れ流す。
こういうことを続けていいのか、ちょっと悩んでいます。
(だったら今回の記事みたいなこと書くな、と言われそうですが。)
でもね・・・。
現実を見ないというのも、自分にとってはやむを得なかったような気もするのです。
自分に都合の悪い、というか、その事実があまりにも自分にとって「痛い」ことは、やはり見たくない。
というか、見続けたのでは、つらくて生きていけない。
最近、こんなことがありました。
兄の店のカウンターで飲んでいて、ふと私の新入社員の頃の話になりまして・・・。
職場の仕事と人間関係に嫌気がさした私は、兄に電話を入れたそうです。
「オレはもうだめだ、とてもやっていけない。」
心配した兄は、千葉から当時の独身寮のあった鎌倉に車で来たそうです。
で、ファミレスで私の悩みを聞き、励ましたそうです。
・・・実はこのときのことを、私自身「全く覚えていない」のです。
その時の自分の状況が、大したことではない、取るに足りないことだったというわけでは決してありません。
確かに、当時の私はひどく悩んでいました。
職場では全く自分を活かせず、周囲から人格も否定され、正直毎日「死にたい」と思っていました
・・・様な気がします。
詳細のことは、実は覚えていないのです。
というか、あの頃のことをはっきり覚えていて、それを日々感じていたら、たぶん生きていけない。
人間、本当に辛いことは、忘れるものです。
たぶん、生きるための本能だと思うのです。
自分にとって辛いことを「風化」させることによって、バランスをとって生きていく。
おそらく誰しも「風化させたいもの」と「風化させたくないもの」が、自分の周りに存在するのだと思います。
ただ、この「させたい」「させたくない」は、なかなか思い通りにはいかないものでもあります。
私は四国にいる間、前に住んでいた神奈川に帰る、地元に帰りやすい土地に帰ることを望んでいました。
ただし、そのことは同時に、遠ざけていた自分の過去に近づくことを意味します。
自分の中で風化させたものを、再び直視してしまう機会も、増えることになります。
四国から藤沢に帰ってから、職場でも地元でも、風化され切っていない過去に出会うことが増えています。
あくまで直接ではなく、「垣間見る」程度ですが・・・。
自分の中で風化していても、そのころにかかわっていた人にしてみれば、その時の自分しか知らないわけで、まあ当たり前といえば当たり前です。
そういう現実を、今更ながらに日々目の当たりにして、まあ憂鬱になっているわけです。
自分にとって「風化」させたいものが、ちょっと多すぎるのかもしれません。
そういう人生を、自分は歩んできてしまっています。
まあその辺が、いかんのですかねえ〜。
なにはともあれ、このところそんな状態で、いけてなく日々を過ごしています。
とりあえず、今いるところも地元も、自分の居場所には感じられないです。
ひょっとしたら、あんまり考えても仕方のないことなのかもしれません。
みんな居場所は見つからないけど、「これがあるからいいや」というものが見つかればいいのかもしれません。
皆さん、そうやってやってってるのかもしれませんね。
その存在が大きい人ほど、幸せなのかもしれません。
とりあえず、40を間近に控えても、惑いっぱなしですね。
今後もまあ、こんな感じなんでしょう。
どうか「変なやつ」「危ないやつ」と思わないで頂ければ、幸いです。
***今日の血圧(mmHg)161-117***
すごく久々に、測りました。
芳しくないですね。
気を付けます。
不吉・・・。
今日、トイレでズボンを脱ごうとしたら、ベルトが切れました。

きれいに、真っ二つ、です。
何か、嫌なことの前触れでしょうか・・・。
実は、ベルトが切れたのは、今年に入って2回目です。
そんなに腹回りが、激変したのでしょうか・・・?
確かに、「メタボの境界」という、85cmは大きく逸脱していますが・・・。
というか、85cm以下なんて、この身長になってから、なったことないんですけど。
そういえば、今年の健康診断から、弊社も「メタボ検診」なるものをはじめました。
当然のごとく、私もこのボーダーラインにひっかかり、3ヵ月後の再検査、となりました。
でも、すでに高血圧で医者に通っている人間に
「メタボになりますよ。」
とか、言われてもね。
なんか、無駄なことをしているようにしか思えません。
そういえば、4月に買った自転車、車が届いてから全く乗らなくなりました。
ガソリンも高いし、今後は少しずつでも、乗ってみようかな、と思っています。
***今日の血圧(mmHg)156-101***
ランキングです。どうかひとつ。


きれいに、真っ二つ、です。
何か、嫌なことの前触れでしょうか・・・。
実は、ベルトが切れたのは、今年に入って2回目です。
そんなに腹回りが、激変したのでしょうか・・・?
確かに、「メタボの境界」という、85cmは大きく逸脱していますが・・・。
というか、85cm以下なんて、この身長になってから、なったことないんですけど。
そういえば、今年の健康診断から、弊社も「メタボ検診」なるものをはじめました。
当然のごとく、私もこのボーダーラインにひっかかり、3ヵ月後の再検査、となりました。
でも、すでに高血圧で医者に通っている人間に
「メタボになりますよ。」
とか、言われてもね。
なんか、無駄なことをしているようにしか思えません。
そういえば、4月に買った自転車、車が届いてから全く乗らなくなりました。
ガソリンも高いし、今後は少しずつでも、乗ってみようかな、と思っています。
***今日の血圧(mmHg)156-101***
ランキングです。どうかひとつ。

殺意の果てに
先々週、実家に帰った際に、預けてあったゴルフバックを引き取りました。
自分の手元に戻ったのは、かれこれ半年ほどぶりでしょうか。
藤沢に帰ってから、早速練習を開始しました。
実は、私の実家とゴルフとは、切っても切れない関係にあります。
私の兄が地元の千葉県鴨川市で居酒屋を経営していることは、このブログでも何度か述べていますが、その居酒屋開店よりも前から実家主催ではじめている年に一度の行事があります。
6月の、ゴルフコンペです。
当初は、母方の親戚一同(私のいとこ達)が集まってのコンペでした。
そのため、コンペ名称もその母方の祖父の名前を掲げています。
時は流れ、徐々にいとこ達の出席率は落ちていきました(かくゆう私も四国にいるときは参加できませんでしたが)。
その代わり、兄の店の常連客が徐々に参加し始め、現状ではこの店中心のコンペとなっています。
とはいえ、元々は親戚一同で始めたコンペ。
それが現状では、私の兄夫妻のみが参加、というのでは、あまりにばつが悪い。
今年は、私も関東に戻った以上、参加しないわけにはいきません。
開催日は、店の休日にあわせ、火曜日に設定しています。
短くとも、1日半の休暇をとるために、GW明けから根回しをしていこうと思います。
さて、いざゴルフの練習をはじめようと思ったのですが、私はここ本鵠沼に引っ越してからわずか1ヶ月。
まずは、最寄のゴルフ練習場を探さなければなりません。
で、ネットでいろいろ調べたのですが・・・。
あんまりないんですよね。
ネットに載ってないだけかもしれないけど。
で、目についたのが、この練習場。
「藤沢ジャンボゴルフ」
「ああ、ここがあったか・・・。」
思わずつぶやいてしまいました。
この藤沢ジャンボゴルフは、県内でも有名な大規模の練習場。
実は、私もかつてよく通っていた練習場です。
その規模とゴージャスな設備ゆえに、値段はかなりお高めですが、ここでの練習はやはり気持ちがいい。
若かりしころは、よく女性を誘っての練習会に利用したものです。
(ろくな腕もないのに、まあよくやったものです。)
この練習場には、これとは別に、幾つかの苦い思い出もあります。
例えば・・・。
私、この練習場で、ドライバーを折った ことがあります。
ある日、ティーアップをしているにもかかわらず、激しくダフったら(地面を叩くこと)、急にドライバーが軽くなり、フィニッシュで大きくのけぞった。
気づくと、やや左側、30ヤードほど前方に、ドライバーのヘッドが転がっていた。
肝心のボールは、私の足元を悲しくさまよっていた・・・。
周辺の見知らぬ客数人に、くすくすと笑われました。
その中の一人に「何のクラブですか?」と聞かれ、なんのひねりもなく「ドライバーです」と答えました。
何かひねりを聞かせた返しは、このときは浮かんできませんでした。
そういえば、あの頃はまだ私は寮にいました。
かれこれ10年も前の話になります。
今となれば笑い話です。
・・・いや、昔から笑い話、ですね。
当時から、私はこのエピソードを「ネタ」にしていました。
それなりに笑いは取れました。
ただ、実はこの事件?には、隠れた原因があります。
ちょっと、笑いだけでは済まされない、別の意味で恥ずかしい話が隠されています。
私の馬鹿力だけをを示すエピソードではないのです。
実は、このドライバーが折れる前、練習をする度に「上手く打てない」自分に腹を立て、クラブを地面に何度か叩きつけていました。
そのダメージが、折れたドライバーには蓄積されていたに違いありません。
自分のスイングに、自分の打球に腹を立て、その度にクラブを叩きつける。
その都度、暴言を吐く。
それも一人で・・・。
正直、かなり大人気なく、他の客にも迷惑な行為です。
それを私は、しばらくやっていました。
今から思えば、全く恥ずかしい限りなのですが、当時の私は正直周りが見えなかった。
あの頃、確か入社3〜4年目くらい。
私はすべてにおいて、希望を失っていました。
営業に配属され、そこでなんら手ごたえをつかむことが出来ず、周囲ともうまくいかず、完全に浮いていた時期。
職場の人間から、仕事だけでなく、人格まで否定され続けた日々。
営業でいながら、職場で一言も口を利かないことも良くありました。
そんな状況でしたから、当然彼女なんかも出来ない。
何をやってもうまくいかない中で、営業という職業柄、半ば強制的に始めさせられたゴルフでも、全く上達する気配がない。
「ゴルフぐらいは結果を出したい」と、意地になって練習をしましたが、全くダメ。
恐らく、センスという意味では、あまりあるほうではないのでしょう。
大して練習していない者に、どんどん追い抜かれていく。
そうしているうちに、私の考えはどんどん暴走していきました。
「オレはゴルフが出来ないから、仕事が出来ない、彼女も出来ない。」
「ゴルフをやる自分は、ダメな自分の象徴だ。」
もはや私のゴルフをやる動機は「恨み辛み」になっていました。
ゴルフの楽しさとか、微塵もない状態。
そんな状態のころの、この藤沢ジャンボゴルフでの、もう一つの苦い経験があります。
何をやっても上手くいかず、救いの手を求める形で、私は初めて個人レッスンを申し込みました。
「何回セット」ではない、単発のレッスン。
確か、20分2,000円くらい、だったと思います。
出てきたのは、小柄で小太りのおっさん。
岩のような顔をした、いかにも厳しそうな人でした。
彼は私のスイングと打球を見て、これでもかといわんばかりに酷評します。
「なんだ、そのスイングは。」
「今まで、いったい何やってきたの?」
今思えば、彼は彼なりに、短い時間で少しでも自分の言うことを吸収してもらうための手段として、上記のような言い方をしたのかもしれません。
しかし、当時の私にとっては、これは単にゴルフへの指摘ではなく、私という人間への人格否定でした。
正直、手に持っているアイアンで、彼の頭を殴りつけようかと思いました。
それを何とか踏みとどまったので、とりあえず今私はこうしています。
ただ、これ以来、個人レッスン自体を申し込むことは一切なくなりましたが・・・。
そんな苦い経験も重ねた藤沢ジャンボゴルフ。
幸か不幸か、またここで練習することになりました。
あのころと変わらぬ、壮大な景色です。


あのころから、月日は流れました。
あれから徐々にではありますが、ゴルフはいくらか上達し、1度だけ95(44−51)というスコアを出しました。
そのスコアを出したのが、確か5年ほど前。
このあと、私のゴルフは下降線の一途をたどります。
今では、110〜120あたりを漂流しています。
やればやるほど下手になる。
まるで「アルジャーノンに花束を」のように、進化から退化の曲線を描いています。
ただ、今は、それを「自分の人生」や「ダメな自分の象徴」という捕らえ方は、していません。
実は、つい最近まで、そういう発想が、私の中には残っていたような気がします。
四国にいたときも、残っていたと思います。
今、そういう気持ちがなくなっているのは、恐らく「四国から戻ってきた」という、自負なのかもしれません。
つまらない自負なのかもしれませんが・・・。
ゴルフは、ダメな自分の象徴ではない、と、やっと思えたような気がします。
そう思うのに、10年かかった、ということなのでしょう。
幸か不幸か、実家でコンペがあることもあり、ゴルフを止めずにすんでいます。
今は純粋に「もう少し上手くなりたい。」と、思えているような気がします。
そんな気持ちで半年振りの練習に取り掛かったのですが、状況は芳しくありませんでした。
やはり、心構えだけでは、どうにもならない部分があるようです。
練習の帰り、ふとこんな看板を見つけました。

ゴルフレッスンを紹介する看板です。
写真はレッスンを担当する、いわゆるレッスンプロ。
あの、岩のような顔のおっさんは、もういませんでした。
レッスンは、昔のような単発のものではなく、各レベルに合わせたコースに分かれています。
その中の「基本習得コース」に、こんなことが書いてありました。
「これからゴルフを始めてみようという方、長年自己流でやってきて伸び悩んでいる方などにご用意したコースです。」
長年自己流で伸び悩み・・・。
今の私、そのものです。
レッスンプロも、4人のうち2人は女子プロだし・・・。
実家のコンペまであと1ヶ月。
藤沢での新生活を模索する自分に、一つだけ、当面やることが見つかったような気がしています。
***今日の血圧(mmHg)150-96***
ランキングです。どうかひとつ。

自分の手元に戻ったのは、かれこれ半年ほどぶりでしょうか。
藤沢に帰ってから、早速練習を開始しました。
実は、私の実家とゴルフとは、切っても切れない関係にあります。
私の兄が地元の千葉県鴨川市で居酒屋を経営していることは、このブログでも何度か述べていますが、その居酒屋開店よりも前から実家主催ではじめている年に一度の行事があります。
6月の、ゴルフコンペです。
当初は、母方の親戚一同(私のいとこ達)が集まってのコンペでした。
そのため、コンペ名称もその母方の祖父の名前を掲げています。
時は流れ、徐々にいとこ達の出席率は落ちていきました(かくゆう私も四国にいるときは参加できませんでしたが)。
その代わり、兄の店の常連客が徐々に参加し始め、現状ではこの店中心のコンペとなっています。
とはいえ、元々は親戚一同で始めたコンペ。
それが現状では、私の兄夫妻のみが参加、というのでは、あまりにばつが悪い。
今年は、私も関東に戻った以上、参加しないわけにはいきません。
開催日は、店の休日にあわせ、火曜日に設定しています。
短くとも、1日半の休暇をとるために、GW明けから根回しをしていこうと思います。
さて、いざゴルフの練習をはじめようと思ったのですが、私はここ本鵠沼に引っ越してからわずか1ヶ月。
まずは、最寄のゴルフ練習場を探さなければなりません。
で、ネットでいろいろ調べたのですが・・・。
あんまりないんですよね。
ネットに載ってないだけかもしれないけど。
で、目についたのが、この練習場。
「藤沢ジャンボゴルフ」
「ああ、ここがあったか・・・。」
思わずつぶやいてしまいました。
この藤沢ジャンボゴルフは、県内でも有名な大規模の練習場。
実は、私もかつてよく通っていた練習場です。
その規模とゴージャスな設備ゆえに、値段はかなりお高めですが、ここでの練習はやはり気持ちがいい。
若かりしころは、よく女性を誘っての練習会に利用したものです。
(ろくな腕もないのに、まあよくやったものです。)
この練習場には、これとは別に、幾つかの苦い思い出もあります。
例えば・・・。
私、この練習場で、ドライバーを折った ことがあります。
ある日、ティーアップをしているにもかかわらず、激しくダフったら(地面を叩くこと)、急にドライバーが軽くなり、フィニッシュで大きくのけぞった。
気づくと、やや左側、30ヤードほど前方に、ドライバーのヘッドが転がっていた。
肝心のボールは、私の足元を悲しくさまよっていた・・・。
周辺の見知らぬ客数人に、くすくすと笑われました。
その中の一人に「何のクラブですか?」と聞かれ、なんのひねりもなく「ドライバーです」と答えました。
何かひねりを聞かせた返しは、このときは浮かんできませんでした。
そういえば、あの頃はまだ私は寮にいました。
かれこれ10年も前の話になります。
今となれば笑い話です。
・・・いや、昔から笑い話、ですね。
当時から、私はこのエピソードを「ネタ」にしていました。
それなりに笑いは取れました。
ただ、実はこの事件?には、隠れた原因があります。
ちょっと、笑いだけでは済まされない、別の意味で恥ずかしい話が隠されています。
私の馬鹿力だけをを示すエピソードではないのです。
実は、このドライバーが折れる前、練習をする度に「上手く打てない」自分に腹を立て、クラブを地面に何度か叩きつけていました。
そのダメージが、折れたドライバーには蓄積されていたに違いありません。
自分のスイングに、自分の打球に腹を立て、その度にクラブを叩きつける。
その都度、暴言を吐く。
それも一人で・・・。
正直、かなり大人気なく、他の客にも迷惑な行為です。
それを私は、しばらくやっていました。
今から思えば、全く恥ずかしい限りなのですが、当時の私は正直周りが見えなかった。
あの頃、確か入社3〜4年目くらい。
私はすべてにおいて、希望を失っていました。
営業に配属され、そこでなんら手ごたえをつかむことが出来ず、周囲ともうまくいかず、完全に浮いていた時期。
職場の人間から、仕事だけでなく、人格まで否定され続けた日々。
営業でいながら、職場で一言も口を利かないことも良くありました。
そんな状況でしたから、当然彼女なんかも出来ない。
何をやってもうまくいかない中で、営業という職業柄、半ば強制的に始めさせられたゴルフでも、全く上達する気配がない。
「ゴルフぐらいは結果を出したい」と、意地になって練習をしましたが、全くダメ。
恐らく、センスという意味では、あまりあるほうではないのでしょう。
大して練習していない者に、どんどん追い抜かれていく。
そうしているうちに、私の考えはどんどん暴走していきました。
「オレはゴルフが出来ないから、仕事が出来ない、彼女も出来ない。」
「ゴルフをやる自分は、ダメな自分の象徴だ。」
もはや私のゴルフをやる動機は「恨み辛み」になっていました。
ゴルフの楽しさとか、微塵もない状態。
そんな状態のころの、この藤沢ジャンボゴルフでの、もう一つの苦い経験があります。
何をやっても上手くいかず、救いの手を求める形で、私は初めて個人レッスンを申し込みました。
「何回セット」ではない、単発のレッスン。
確か、20分2,000円くらい、だったと思います。
出てきたのは、小柄で小太りのおっさん。
岩のような顔をした、いかにも厳しそうな人でした。
彼は私のスイングと打球を見て、これでもかといわんばかりに酷評します。
「なんだ、そのスイングは。」
「今まで、いったい何やってきたの?」
今思えば、彼は彼なりに、短い時間で少しでも自分の言うことを吸収してもらうための手段として、上記のような言い方をしたのかもしれません。
しかし、当時の私にとっては、これは単にゴルフへの指摘ではなく、私という人間への人格否定でした。
正直、手に持っているアイアンで、彼の頭を殴りつけようかと思いました。
それを何とか踏みとどまったので、とりあえず今私はこうしています。
ただ、これ以来、個人レッスン自体を申し込むことは一切なくなりましたが・・・。
そんな苦い経験も重ねた藤沢ジャンボゴルフ。
幸か不幸か、またここで練習することになりました。
あのころと変わらぬ、壮大な景色です。


あのころから、月日は流れました。
あれから徐々にではありますが、ゴルフはいくらか上達し、1度だけ95(44−51)というスコアを出しました。
そのスコアを出したのが、確か5年ほど前。
このあと、私のゴルフは下降線の一途をたどります。
今では、110〜120あたりを漂流しています。
やればやるほど下手になる。
まるで「アルジャーノンに花束を」のように、進化から退化の曲線を描いています。
ただ、今は、それを「自分の人生」や「ダメな自分の象徴」という捕らえ方は、していません。
実は、つい最近まで、そういう発想が、私の中には残っていたような気がします。
四国にいたときも、残っていたと思います。
今、そういう気持ちがなくなっているのは、恐らく「四国から戻ってきた」という、自負なのかもしれません。
つまらない自負なのかもしれませんが・・・。
ゴルフは、ダメな自分の象徴ではない、と、やっと思えたような気がします。
そう思うのに、10年かかった、ということなのでしょう。
幸か不幸か、実家でコンペがあることもあり、ゴルフを止めずにすんでいます。
今は純粋に「もう少し上手くなりたい。」と、思えているような気がします。
そんな気持ちで半年振りの練習に取り掛かったのですが、状況は芳しくありませんでした。
やはり、心構えだけでは、どうにもならない部分があるようです。
練習の帰り、ふとこんな看板を見つけました。

ゴルフレッスンを紹介する看板です。
写真はレッスンを担当する、いわゆるレッスンプロ。
あの、岩のような顔のおっさんは、もういませんでした。
レッスンは、昔のような単発のものではなく、各レベルに合わせたコースに分かれています。
その中の「基本習得コース」に、こんなことが書いてありました。
「これからゴルフを始めてみようという方、長年自己流でやってきて伸び悩んでいる方などにご用意したコースです。」
長年自己流で伸び悩み・・・。
今の私、そのものです。
レッスンプロも、4人のうち2人は女子プロだし・・・。
実家のコンペまであと1ヶ月。
藤沢での新生活を模索する自分に、一つだけ、当面やることが見つかったような気がしています。
***今日の血圧(mmHg)150-96***
ランキングです。どうかひとつ。

止まった時間
先週の水曜日のことです。
この日は久々のメンバーとの飲み会でした。
入社当時、同じ寮にいた同期の2人と、もう一人・・・。
もう一人の男、年齢は今年でなんと80歳。
そんな、ちょっといつもと違う形での飲み会でした。
この人のことを、私を良く知る人、またはこのブログを昔から愛読している人は、ひょっとしたら気がつくかもしれません。
まあ、あれこれ説明するより、まずは2年前の以下の記事を参照してください。
「寮長との再会」
私が入社してから3年間入った鎌倉の寮。
2年のときを超えて、その寮長を囲んでの飲み会が開催されました。
あの時と全く同じメンバーで。
このころは、いよいよ愛媛への出向が近づきつつある、失意の時期。
あれから月日は流れました。
寮長は昨年末、いわゆる「寮長」職を引退しています。
私も2年の刑期を終え、藤沢に戻ってきました。
ただ、あれから全く変わっていないこともあります。
ここに集まった同期三人が、2年経過したにもかかわらず、独身のままでいたことです。
当然ながら、この飲み会の話題は、おのずと決まってしまいます。
・・・というか、そのことを寮長言いたくて、この飲み会が開催された、と言っても良いでしょう。
「君達はいったい、いつになったら諦めがつくのかね。」
そういえば、もはや私の周りでは、このような呼びかけなどほとんどなくなりつつあります。
もはや、周囲からも「諦められ」つつある状態。
その私に、寮長には「おススメの人」がいるようで、「どうかね?」ってな話もされました。
・・・諦めが悪いのは、あなたの方ですよ。
でもまあ、それが元気の源になるのであれば、それもいいのかもしれませんが。
なんといっても80歳。
昨年亡くなった、私の父よりも年上です。
思えば、この2年という時間も、我々の2年とは意味が違います。
寮長から放たれる相変わらずの「小言」は、もはや心地よくすらあります。
まあ、心地よがってる場合じゃないんでしょうか。
一時間ほどの小言を受けた後、話題はやはり「戦争の話」へ。
そのほとんどが「聞いたことのある」話でしたが、それほど嫌な気持ちはない。
何故か聞くたびに、新鮮さがあるのです。
寮長の武勇伝と絡めて話すせいか、話自体が非常におもしろい。
話し方が、上手いのでしょう。
80歳を控え、いやいや恐れ入ります。
その戦争中の話の中で、一つ今まで聞いた事のない話がありました。
寮長が若かりしころ、いよいよ戦地に向かう数日前のこと。
地元の岡山で白いワンピースを着た女性を見かけた。
その美しい女性の名前を、人づてに聞いて調べたそうです。
(当時、そういうきれいな格好をしている女性は、すぐ調べることは出来たようです。)
で、いよいよ戦地に向かうとき、彼が取った行動は・・・。
当時の兵士は、その帽子に、自らの命を捧ぐ相手の名前を書いていたそうです。
もっとも一般的なのは、やはり家族でしょうが、彼は家族の名前の横に、その女性の名前を書き記したそうです。
一度も口を聞いていない女性、しかも一度しか見ていない女性に、です。
寮長曰く
「そういう時代だった。」
とのこと・・・。
当時のことを実感として捕らえることはもちろん不可能ですが、「これから死にに行く」という時に、そんな気持ちになる感覚は、おぼろげながら理解できます。
またその思いが何らかの形で届くんじゃないか?と思いたくなる気持ちも、当時であればなんとなくですがわかるような気がします。
そんな時代は、繰り返すべきではないですが、そんな時代であればもっと熱い思いで恋愛に向き合ったのかもしれません。
今みたいな、やたら構えた、探りや計算ばかりが先行するような恋愛ではなく・・・。
まあ、時代のせいにしてはいけません。
数日後、この寮長から私宛に電話がかかってきました。
「あの時話した件、あれは冗談ではないんだが、どうかね?」
そういえば、2年前愛媛に行く前も、寮長はそんなこと言ってたな・・・。
2年のときを超えても、この件については、時間は止まったままだったようです。
愛媛にいれば言い訳も出来ましたが、ここ藤沢ではそうもいきません。
多少は、話にのらざるを得ないかもしれません。
その後の顛末は、書けそうだったら書きます。
***今日の血圧(mmHg)152-101***
ランキングです。どうかひとつ。

この日は久々のメンバーとの飲み会でした。
入社当時、同じ寮にいた同期の2人と、もう一人・・・。
もう一人の男、年齢は今年でなんと80歳。
そんな、ちょっといつもと違う形での飲み会でした。
この人のことを、私を良く知る人、またはこのブログを昔から愛読している人は、ひょっとしたら気がつくかもしれません。
まあ、あれこれ説明するより、まずは2年前の以下の記事を参照してください。
「寮長との再会」
私が入社してから3年間入った鎌倉の寮。
2年のときを超えて、その寮長を囲んでの飲み会が開催されました。
あの時と全く同じメンバーで。
このころは、いよいよ愛媛への出向が近づきつつある、失意の時期。
あれから月日は流れました。
寮長は昨年末、いわゆる「寮長」職を引退しています。
私も2年の刑期を終え、藤沢に戻ってきました。
ただ、あれから全く変わっていないこともあります。
ここに集まった同期三人が、2年経過したにもかかわらず、独身のままでいたことです。
当然ながら、この飲み会の話題は、おのずと決まってしまいます。
・・・というか、そのことを寮長言いたくて、この飲み会が開催された、と言っても良いでしょう。
「君達はいったい、いつになったら諦めがつくのかね。」
そういえば、もはや私の周りでは、このような呼びかけなどほとんどなくなりつつあります。
もはや、周囲からも「諦められ」つつある状態。
その私に、寮長には「おススメの人」がいるようで、「どうかね?」ってな話もされました。
・・・諦めが悪いのは、あなたの方ですよ。
でもまあ、それが元気の源になるのであれば、それもいいのかもしれませんが。
なんといっても80歳。
昨年亡くなった、私の父よりも年上です。
思えば、この2年という時間も、我々の2年とは意味が違います。
寮長から放たれる相変わらずの「小言」は、もはや心地よくすらあります。
まあ、心地よがってる場合じゃないんでしょうか。
一時間ほどの小言を受けた後、話題はやはり「戦争の話」へ。
そのほとんどが「聞いたことのある」話でしたが、それほど嫌な気持ちはない。
何故か聞くたびに、新鮮さがあるのです。
寮長の武勇伝と絡めて話すせいか、話自体が非常におもしろい。
話し方が、上手いのでしょう。
80歳を控え、いやいや恐れ入ります。
その戦争中の話の中で、一つ今まで聞いた事のない話がありました。
寮長が若かりしころ、いよいよ戦地に向かう数日前のこと。
地元の岡山で白いワンピースを着た女性を見かけた。
その美しい女性の名前を、人づてに聞いて調べたそうです。
(当時、そういうきれいな格好をしている女性は、すぐ調べることは出来たようです。)
で、いよいよ戦地に向かうとき、彼が取った行動は・・・。
当時の兵士は、その帽子に、自らの命を捧ぐ相手の名前を書いていたそうです。
もっとも一般的なのは、やはり家族でしょうが、彼は家族の名前の横に、その女性の名前を書き記したそうです。
一度も口を聞いていない女性、しかも一度しか見ていない女性に、です。
寮長曰く
「そういう時代だった。」
とのこと・・・。
当時のことを実感として捕らえることはもちろん不可能ですが、「これから死にに行く」という時に、そんな気持ちになる感覚は、おぼろげながら理解できます。
またその思いが何らかの形で届くんじゃないか?と思いたくなる気持ちも、当時であればなんとなくですがわかるような気がします。
そんな時代は、繰り返すべきではないですが、そんな時代であればもっと熱い思いで恋愛に向き合ったのかもしれません。
今みたいな、やたら構えた、探りや計算ばかりが先行するような恋愛ではなく・・・。
まあ、時代のせいにしてはいけません。
数日後、この寮長から私宛に電話がかかってきました。
「あの時話した件、あれは冗談ではないんだが、どうかね?」
そういえば、2年前愛媛に行く前も、寮長はそんなこと言ってたな・・・。
2年のときを超えても、この件については、時間は止まったままだったようです。
愛媛にいれば言い訳も出来ましたが、ここ藤沢ではそうもいきません。
多少は、話にのらざるを得ないかもしれません。
その後の顛末は、書けそうだったら書きます。
***今日の血圧(mmHg)152-101***
ランキングです。どうかひとつ。





